日々雪月花 2009

新橋にて

佐々木祭りのあとは新橋の居酒屋で酒をあおる。10時の方向に東京タワーの全景をみながら。なかなかこの距離で東京タワーの全景をみられる場所ってないんじゃないかな。

新橋駅の東側にある『わん』。俗な店も男同士ではいいものです。

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10月11日 佐々木さんの苦悩・後編

要旨はこんな感じである。

「デントナ選手の打球を三塁塁審の佐々木がホームランとした。それについて審判団で話し合いホームランと結論付けた。その後スクリーンの再生VTRをみた落合監督が抗議。しかし審判団の結論のあとなのでこれは認められない。」

つまり本当にホームランかどうかは問題でない、ということになっている。問題は審判団の結論のあとかどうかである、と。それもニュアンスでいうなら「ごめん。完璧にファールだったけど、こっちも人間だし、佐々木さんの立場もあるし、(だって奥さんもお子さんもいるんだよ。これがイジメにつながっちゃかわいそうでしょ)だから勘弁してね、目つむってね」というニュアンスがふくまれていた。問題の打球については一切触れないんだもの。

その後佐々木さんは怒号の嵐のなか、なおも三塁近くで審判をしていた。

和田のネットにあたるようなファールに対して中日ファンは人差し指を空に向かってくるくる回すサインを見せ「ホームランじゃねーのか!」と言いたい放題であった。

ヒーローインタビューでデントナのやりきれないバツの悪そうな顔が、また面白い。

さて後日談を我々は知ることはできないがどのような処分があるのか。

まず吉見。結果的に最多勝のタイトルは獲得したが、単独の最多勝ではない。これが年棒に響くのだろうか。

さらに記録上はホームランを浴び、負け投手になった山井。吉見と仲違いしなのだろうか。

そして今日の主役の佐々木さん。アンパイア組合みたいのから何かいわれるのじゃなかろうか「まずいよ佐々木さん、あれは完全にファールだよ。みてなかったんだねえ。アンパイアのOOさんに感謝するんだよ。でもミスはミス。1点引いとくから」

というようなやりとりがあるのだろうか。

僕としては初めてこんな遭遇したので、何ともお得な試合だった。

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10月11日 佐々木さんの苦悩・前編

2009年。中日の最終戦。

なかなか見られない「監督の抗議」に遭遇。わくわくしたね。

試合は終盤。ヤクルト4番、デントナのあたりは惜しくもファール。黄色いポールの手前を白球が通過していった。僕は3塁ベースうしろ内野席で観戦していたので、よく見えた。

まわりの中日ファンも安堵のため息を漏らした。「おおぉ~、あぶねえ」と。

今日は吉見の最多勝がかかっている試合。これがホームランならその権利を失してしまう。おまけに立浪のレギュラーシーズン最終試合だぜ。ペナントの順位は確定しているが決して消化試合ではない。

しかし3塁累審佐々木さんのジャッジはホームラン。

球場は異様な雰囲気に包まれる。まずは事態が把握できない、つぎに疑問の声が周囲をとりまく。デントナがホームに達した頃ようやく事を理解したファンと選手たち。それほど確実にファールの打球だった。反対に1塁側スタンドはお祭り騒ぎ。位置的にもよくみえないだろうし、まあ、贔屓のチームに点が入るのだからノッとくでしょ。

バックスクリーンに再生VTRが流れる。やはりファールである。ポールは判定をしやすくするために黄色いのである。打球がポールをかすったということなら理解できるが、かすったかどうかなんてだれにもわからないはずである。

当然落合監督も黙っちゃいない。選手を引き上げさせる。長い抗議の上、審判団からの解説があったのだが、これが驚きだ。

つづく。

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10月10日 都庁の上でおめでとう

どうも私は女性に好まれる風貌ではないようです。やっぱりね、再確認ね。

また男に好まれました。結婚パーティがあった今日、都庁の展望台で。

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10月9日 苦手な自己分析

自信を持って言えるのがきわめて健全な精神の持ち主であるということ。演じることはあるから、あまり私のことを知らない人は勘違いなされるみたいですが。

鬱とか躁とか自殺とか心中とか、遠い遠い異国の話だな。

だれでもきっかけ次第でそうした状態に陥ってしまうのはわかるけど、現状説法みたいに聞こえる。

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10月8日 産声

適当、に書きます。

書いた自分ですら数カ月後に見たらなんのこっちゃわからんでしょう。

調子悪かったな、今年の夏は。原因は……考えるのはよそう。

肉体と精神の正確な相互作用なんて知らないし、知ったところで失望しかないんじゃないか。

少なくとも今は効率もとめて机上でごちゃごちゃ理論をいじくりまわす時期ではない。そういうのは通勤電車の15分でかたづけるべきだ。

これまでは、上ってきたはずだ。すべてが自分の糧になると。

将来のためにお勉強をし、友達をつくり人間性を深め、肉体を健康に維持する。

しかし、年齢を重ねていくと、このやり方は必要なくなる。そのときの「将来」が現在、ほど近い将来なのだ。幼いころの「将来」の意味とはまるで異質だ。

マックスでも100歳までしか生きられなくて、終着点がみえていればとるべき手段も変わってくるというものだ。

もちろん向上心があるならば、ヤりゃいい。

疾走感はやはり気持ちがい。

だから、走りたい。時間と気力がゆるす限り。

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マルサの女

あらすじ

板倉リョウコは税務署調査部のやり手職員。地道な仕事ながら現場で鍛え上げられた経験と天性の責任感から幾多もの脱税を暴いてきた。仕事ぶりは持ち前のプロ意識ゆえ時に人間味がなく、昔ながらの小商店からも厳しく取り立てするなど徹底されたものであった。

あるとき権藤商事という同伴宿を経営する会社に脱税のにおいを嗅ぎつける。

代表取締役の権藤とやりあうも、帳簿上で調査には限界があり、また権藤の周到な税金対策を前に尻尾をつかむことができないままでいた。

そんなリョウコのもとに国税局査察部への異動が命じられた。マルサと呼ばれる花形部署だ。

狂喜するリョウコ。ここでも活躍を見せ、また希少な女性職員としてのアイデンティティーも発揮しながら忙しくも充実した毎日を送っていた。

そこへ権藤に捨てられた愛人から権藤商事の脱税のタレこみがあった。マルサには強制捜索=ガサ入れの権限がある。権藤商事に対しても積極的な働きかけができるというわけだ。かつての遺恨に決着をつけようとリョウコは使命に燃える。

対する権藤も銀行、議員、暴力団、マネーロンダリング屋など複雑に組み上げ所得隠し、一筋縄ではいかない強敵である。

やがてマルサは入念な準備のもとガサ入れに成功し、巨額の追徴に成功するのであった。

社会小説とは。

つまり社会と自分とのつながりを描いたり、また、社会の中の自分をどのように位置づけいかに生きるかを問う小説。……と結論づけておこう。

社会派作品とは。

社会小説とは異なり、ある社会のある一部の客観描写に終始した作品。

よって個人的な要素は極力排斥されており、実存性は影を潜めている。

本作は後者。リョウコの息子のダイちゃんと権藤の息子の太郎君が“苦悩”と言えなくもないが、弱い。

社会派作品は個人的には物足りなく感じる。個人的苦悩がないと燃えないんだな。ドキュメントの方が上を行く気がする。

バブル期の税金(所得税)対策に焦点を当てた意欲はすごいと思うけど。意欲作というのはモチーフにほぼすべての神経を使ってしまう性質のものなので、上がみえるというか。まあ、蘊蓄で魅せる映画ですね。

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八月十八日 蝉が腹を見せ始める

【今月の走行距離 30.7キロメートル】

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八月十三日 盛夏真只中

いいね「○○らしい」っていうのは。

俗っぽさを享受すると、自分も上手く生きているんだぞ、って錯覚することができてさ。

【今月の走行距離 23.2キロメートル】

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八月十一日 北風の心地よいこと

【今月の走行距離 20.2キロメートル】

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