日々雪月花 2008

十一月二十日 ご趣味は

趣味はときかれて即答したとき、健康で文化的な生活を享受しているように思い込むことができる。少なくとも僕はそう感じる。

自分という人間の興味を言葉にすることで得られる新鮮さと、同じ分量の再確認。自分の趣味を知らない程度の間柄の人に話すのも手伝って浮遊感すら感じる。

さて、僕の趣味は「小説と酒」である。

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「サッカーとファッション」なんてトレンディーにはいかなかったな、この人生。

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十月二十一日 長夜に不可欠なもの

最近のはやり。

オン・ザ・ロックとプリン。

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20周年

zのファンである。

『LADY NAVIGATION』で虜になったのが中学一年。『BAD COMMUNICATION』に衝撃を受け、『ALONE』で英語を覚え、『恋心』に憧れ、『月光』『DEEP KISS』『SHINE』などの数々の隠れた名曲と出会い、またカラオケで声をからしアルバイト先でハスキーな「いらっしゃいませ」を披露した。

NHKスペシャルでBz特集するとあっては見ないわけにはいかない。

メガヒットの理由、というのが番組の趣旨であった。

前半はギター兼作曲兼プロデューサーの松本にスポットにあて、彼の仕事ぶりを追っていた。

特筆すべきは決断力だろうか。集中力が切れたらスパっと休憩をとる。普通の人なら妥協や諦観から休息を要求するのだろう。あるいは「ここで休憩をとったら負けだ」ときめつけ、ずるずると時間を浪費し「やった気になって」いるだけだろう。

彼の場合は、極めて前向きな休息だ。自分の使命と、集中力を信じているからこそできることなんじゃないか。まったく成功者の思考である。

後半はヴォーカル兼作詞の稲葉をとりあげていた。

松本がいうようにストイックな姿をみせつけ、独特の高音を維持するための妥協なき生活習慣をカメラに晒していた。

愚直な努力、というのがメガヒットの理由と番組では結論づけていたが、これは間違いである。そんなものは一要因に過ぎない。

しかし凡人にとっては彼らのような姿勢は見習わなければなるまい。

再放送は10月8日深夜です。

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九月一日 生き急ぐ

2008年残り4ヶ月の個人的なテーマは「生き急ぐ」

時間的な拘束が増えるほどに思う。

置かれている環境に大差はない。意識の違いのみが将来を育む。

一秒たりとも無駄にしない。冷静に全力で濃密な時を過ごす。

以上選手宣誓。

……本当かよ。

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四月六日 酒と肴

僕は酒好きとの自認がある。味ではなくて酔っ払う感覚がたまらなく好きなのだ。夢見心地の浮遊感がたまらない。真の酒飲み、アルコールの味そのものを愛しちゃっている人からは邪道やら冒涜やらと罵られちゃうかもしれない。ま、十種類程度の酒は常備してるんだけどね。

さて肴である 酔っ払うのが目的であるので、正直重要なアイテムとは言いがたい。季節を切り取るように旬のものを注文するダンディーなミドルにはなれないだろう。まったく無粋な飲み方しかできない、今のところ。

しかし肴があればあったでうれしい。ないと少し寂しい。

そして料理は嫌いではない。下手くそだけど買い物から調理まですべてにおいてちょっと楽しいと感じる。

問題は肴をつくるのは手間だということだ。酒なら絞った果実とステアするだけなんだけど、肴はそうはいかない。フライパンや鍋だって使うし、ということはそれらを洗う手間も伴うと言うことだ。

酒好きであって肴好きではないので、なあんか本末転倒、というのが最近の悩みである。

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四月三日 傘の墓場

春の嵐はこの国の名物の一つだ。

不利益を楽しめる余裕を身につければ日々豊かになろう。

こんな嵐の中では道行く人々は二派にわかれる。

何が何でも傘をさし続ける人と諦める人。

駅の階段を上りきった正面、手すりには大量の傘がひっかけてあった。三十本はあろうか、どれも骨が折れ使い物にならない。最初の一人が何気なく置いたがためここは墓場と化したのだ。

片付ける駅員さん、春といえば花見だけではないのですぞ。

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四月一日 難解なエイプリル・フール

新年度ということで再開。

“嘘”

なんという魅力的な言葉だろう。様々な思いが渦巻き、淀み、人を破壊してしまうパワーを秘めている。まこと奥が深い。

というわけで、四月一日といえば新年度よりもエイプリル・フールだ。

しかしこのエイプリル・フール、あまり優遇されていない。

学生のころは春休み中ということで日の目を見ないし、お年を召せばそんなものにかかずらわっているエネルギーはない。家族相手にささやかな嘘ついても面白くもなんともない。そもそも春の花のようなかわいらしい嘘(いやいや冗談)は一年中吹いている。

「嘘をつくことが許される」

という死神の交渉カードのような魅力的なエサをちらつかせても

「そういえば昨日エイプリル・フールだったね」

と都市の雑踏にはかなく散るのである。

とはいってもやはり嘘は魅力的だ。

エイプリル・フールがいまいちぱっとしない理由は「嘘をつくことの大変さ」にこそあるような気がする。悪徳だから、ではない。それなりに頭を使うのだ。まこと疲れる。

また意味のない嘘を人はつけない。嘘は必ずどこかに着地しなくてはならない。宙に浮いたままになってしまうと「それがどうした」とひややかな視線を浴びることになるから。

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三月三日 なんでもない三月

かつて、大変に印象深かった三月。

冬の終わり、芽吹く木々から緑の匂いがすれば、成長を感じ取れた年度最終月。新たに一つ年を重ねる月。

いまやなんの特徴もない月へなってしまった。

しかし、浮かれ気分を秘めたようなほの暖かい空気を感じれば、なつかしさは蘇る。

三月はなんでもない月になってしまったが、五感が記憶している。

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二月二十八日 主体的に学ぶ

エネルギー保存の法則とか量子とか素粒子とかナノマシンとか力学とかいわゆる理系をまったく学ばずにきてしまった。

興味が無いわけではない。むしろ知りたいと思うことが数多くある。欲求は存在するが、一方それを満たすために必要とされる学習エネルギーは弱っている。

矛盾するようだがそうではない。主体的に積極的に苦労できなくなっているだけなのだ。人にわかりやすく説明してもらうのならなんの抵抗も無い。由々しき問題。

大学時代のアルバイト先に東京理科大に通う後輩がいた。休み時間や暇な時間帯に思いつくままに様々質問をぶつけていた。

「興味が○○に集中していますね」といわれた。○○にはいるのが化学なのか物理なのかなんとか化学なのかは忘れてしまった。化学にという幹にどのような枝葉があるのかも知らないのだから。「目の前で起こる現象の理由や成り立ち」に対する質問だったと思う。現在でもそのようなことを知りたいとおもいWikipediaをひもとくこともあるから。

中学の教科書から読もうかな。

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二月二十七日 サントリーニのイアに一目ぼれ

ブリスベンからの飛行機で機内雑誌を手に取った。

「特集 ギリシア サントリーニ島」とかかれてあった。

エーゲ海に浮かぶ小さな島ではゼウスやポセイドンなんかが違う描かれ方をしてたりして、と何の気なしにページをめくった。

目に入ったのはサントリーニ島にあるイアの町並み。一目惚れである。

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