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フレフレ少女

フレフレ少女

監督 渡辺謙作

主演 新垣結衣

あらすじ

語るべくもない。

たとえばこんなストーリーであるだろう。

主人公がひょんなことからその部活動に興味をもつ。

いかに「ひょん」を演出できるかが序盤のポイントとなるだろう。「ひょん」を飛躍させばさせるほど観客は食らいつく。つかみはオーケーというやつである

つかんだところで、そう簡単に練習ははじまらない。その部活動は部員が足りず、勧誘動に東奔西走することとなるからだ。時には顧問の先生も求めるかもしれない。

やがて部員がそろう。しかしみなそれぞれの理由から参加を希望し、意志の統一というものがない。目的はバラバラなのである。

また部員数はぎりぎりである。ここがミソなのである。なぜなら一体感を演出するには少人数の方がやりやすいし、映画という二時間の中では大勢に個性を持たせることが困難である点もある。不人気部活にいきなり大勢は集まらないだろうというリアリティの問題もある。

やがて部員たちは最初の大会に参加することとなる。しかし寄せ集めの素人たちが何かできるはずもなく、失敗してしまう。

さていよいよ師匠との出会いのシーンだ。これは大人を登場させることで人物群に厚みを持たせることを目的している。真に描写力や企画力があったりすぐれたプロットを持っていれば、そんな浅ましく涙ぐましい演出は不要であるが、現実には難しいので癖のある指導者で手を打つ。

主人公たちの熱意が大人の思慮分別や妥協を乗り越え、駆逐し、終いには圧倒せしめ、逆に引き込んでいく。師匠を追い越していく爽快感と成長性のために用意されているのだ。

またクライマックスへむけての、若く青い潔癖さこそが人の心を打つことへの布石にもなっている。

その後もライバルとの戦いや解散の危機を乗り越え、いつしかその部活動を心から好きになっていた登場人物たちは、一つの目標に向い、力を合わせる。

熱き思いが群衆の心をとらえ、大きな(?)力を呼び起こす。

自立あり成長ありの、自分との戦いの物語なのだ。

欲望と個性が弱い。よって登場人物たちに生命が吹き込まれていない。

うわべをなぞって描かれた紙人形みたいだ。

現代人はみな自由のはずである。しがらみにとらわれながらも選択は常に傍らにある。

新橋のお父さんたちだってそうである。部長の背中に包丁を突き立てるのは簡単だ。カッチョイイ捨て台詞を吐きハードボイルドな夜の街へと溶け込んでいけばいい。お腹をすかせた女房と子供たちの涙も美しく光るであろう。

自由ゆえ選択があり、またその選択には数多の欲望が秘められている。欲望こそ個性の呼び水となろう。

これ多分さ、新しいタイプの応援だよね。

泥臭くみんな言葉だけは知っているけど、実情はよくわからない応援団がモチーフなんだから、古いタイプの応援団を前面に押し出すべきだった。

下駄箱に恋文をいれる酔狂は学生の特権だけども。

社会に出てからやったらカッコイイかもね。

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