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2009年6月

電車男

話のスジ自体は超古典的なもので。ダメ男が高嶺の花に恋をする話なんて古今東西やりつくしている。ありきたりなお話だ。

とはいえ『電車男』には魅力がある。古典の中にいかに新しい要素を取り入れ昇華させるかが、移ろう現代の課題と言っていいだろう。ありきたりの古典と現代特有のオタク文化を融合させるという手法で、古い恋愛物語を変容させた。

映画化もされているがドラマの方がいいできだと思う。二時間という限られた時間だと話のメインである恋愛事情に終始せざるを得ない。使い古されたありきたりのB級ラブストーリーで終わってしまう。

一方ドラマだといろんな演出ができる。おたくの側面を強調したり、ネットの住人にスポットをあててサイドストーリーを作り、物語世界を重層的に語ったり。おたくならではの一能突出(抜きん出たパソコンスキルなど)による市民権の獲得は今現代にこそ描くべき良質の素材だろう。

キモイと言われても、誠実にがんばれ、ってね。

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6月25日 三日坊主

何ということだ。

3日書いただけで、もうタネがない。

日々何かを享受することを心がけるべし。

さて、この短文を書くために辞書を引いた。

何気なく「3日書いただけで、もうネタがない。」と書き、はたと筆を止めた。

こりゃ違うんじゃないか、と。

たね、である。まずは「ねた」を引いてみた。

【ねた】「たね」の倒語と書いてある。意味としては材料である。

次に倒語を引いてみる。

【倒語】もとの言葉の構成を(一部)逆にした隠語。

なるほど。通称芸能界用語というやつだな。さらに業界用語。テレビに出ている奴らが倒語のことを勝手に気ままにギョーカイ用語と言っているだけなのだな。マスコミに力のおぞましいこと。

日々何かを享受することを心がけるべし。

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6月22日 陽熱至極しまた、日の長きのいたりなるを以てなり

夏といえば、気温か日の長さか。

結局、小学生時に味わった夏休みの感覚から抜け出せず、お盆こそが夏らしさの極みと思い出とともに回帰するのである。

となるとやはり気温に軍配が上がりそうだ。

夏至はなんとも存在感の薄いものである。

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6月21日 二回目の父の日

山崎12年を買った。マインマートで6,398円だった。

6月21日は父の日。死んでからの方が気になるのだから変なものだ。

僕は普段線香もあげない。古いタイプの人間は顔をしかめるかもしれないが、近所のしかめっ面より僕の方がまだ宗教学に造詣があると思う。

考え、想像し、模索と心の発展を意識して行わなければならない。

ジャパニーズシングルモルトを仏壇に供えた。たまには感傷的な行動もね。

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6月20日 IN THE LIFE

ウェブログを綴るのには目的がある。

要は日々何となく過ごさないためであり、日常的な感情を埋もれさせてしまうのを防ぐためである。簡単にいうと生活に張りを与えるためだ。

だいたい日記を書くのは、写真をとるのに似た行為であって―似ているというより何かを残しておく、忘れないようにしておくという意識の通低の部分では同じで―芸術的領域あるいは商業的領域にまで達しないのであれば、非常に個人的な自己顕示だ。

僕の場合どちらかというと自分の考えをまとめておくという側面が強い。ウェブログという媒体を便利帳として活用しているのだ。生活ありきなのである。

誰かに読んでもらい、感じてもらえればそれは素晴らしいことだ。

ところが、続けていくと、次第にウェブログを綴るということ自体が目的となって肝心の生活自体に妥協を許しまうのである。

何かを続ける、という精神修行の場ではあるまいし、本末転倒もいいところだ。

3か月間更新しなかったのにはそういう理由がある。

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3月4月5月

仕事を理由にするのは、嫌いだ。

3月は走った。

日に6キロメートルほど走っていたから、雨の日、飲んで帰った日をさっ引くと150キロメートルほど走ったことになる。

4月5月は仕事が忙しかった。

21時に帰宅、22時に帰宅、23時に帰宅、24時に帰宅、それぞれ翌日へのダメージが異なることを知った。

残業のおかげでいいものが造れたことはうれしかった。自己満足かもしれないが、まずはそこから始めるべきだ。

大胆さと謙虚さこそが創造には不可欠だと結論付けておく。

もっともそのおかげで全く走れなくなってしまった。

仕事を理由にするのは、嫌いだ。

最近馬鹿になってきている。比喩ではなく、切実にそう感じる。

衰える感覚というのはいつだって切ない。完全燃焼ののち引退する一流プレイヤーだって、達成感より喪失感が上回るだろう。偏見か。

社会生活を送りさまざまな拘束をうけると思考が単一化する。無駄な部分がそぎ落とされ、洗練されていく。仕事をする上で、という条件の上に成り立つ洗練であるため、一個人に立ち返ったとき物足りなさを感じる。

対人関係に効率性はさして重要な要因ではないからだ。

かつてはもっと打てば響いた。

言葉に花と毒があった。

酒を飲み、話をする。そうした古典的な愉しみにこそ魅力を感じるし、好きだ。

ディズニーランドに行くのも、キャンプに行くのも、仏像を見にいくのも、だれかと行くのなら、中心にあるのは人と人との関係。

ミッキーマウスは主役ではない。

忙しくても感性を取り戻さなくてはならない。マウスを引きずりおろさなくてはならない。

仕事を理由にするのは、嫌いだ。

まあ、忙しくしていた中にも思うことはいくつかあった。

以降、羅列していこう。

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