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第十四回 白夜行

白夜行

東野圭吾/集英社文庫

何かを得るのを目的とし生活を犠牲にする人間もいれば、過程にこそ価値を見出し日々感じ生きられる人間もいる。

ミステリーとしてはプロットが練られておらず、さらには第一章の時点で犯人と動機が読めてしまう。

倒叙ともいえる作品だから問題ないのかもしれないが、真正面からのミステリーでない分、緊迫感と期待感がもてない。

もちろん心境小説として扱うこともできない。

しかし構成が非常に面白い。三人称小説なのだが、章ごとに視点が入れ替わるつくりである。章主人公と呼ぶべき人物が配されており、原則その章は彼らの視点で物語がすすめられる。

一方メインの二人、亮司と雪穂の視点は皆無である。この二人には主観描写が全く存在せず、すべて客観描写なのだ。実験小説といってもいいような構成である。

白夜のごとくほの暗い人生を歩む二人を、可能な限りドライに描ききったという意気込みを無視するわけにはいかない。亮司と雪穂の接点が全くないのにもかかわらず強固な結びつきを感じさせ、作者なりの思い入れが感じられる。

物語の主題は、と考えを及ぼした時に何も浮かんでこない。

少年と少女の成長物語でもない。二人は小学生にしてすでに完成されてしまっているからだ。思想と実現手段に成長がみられない。

謎解きの要素が少ないため、推理小説でもない。解き明かすことに主眼が置かれていないなら、テーマはほかにあるはずだ。しかし淡々と描きすぎているため、作品からあぶり出されるメッセージを受け取ることが困難なのである。

かろうじて、女王として君臨し続けるためにもがく雪穂の縛られた生、ということになろうか。

あれだけ才覚のある二人だ。先見性も行動力も大胆さも緻密さも意欲も兼ね備えている。

力を合わせ堂々と太陽のもと生きていくのが二人には似合っている。

しかし二人は太陽を避けた。

作者は亮司と雪穂が太陽を避けた、あるいは避けざるをえなかった理由を書くべきだったのだ。そこだけは熱く書くべきだった。この小説には不可欠な要素である二人の決断に触れられていないのは残念でならない。

小説として点数をつけるなら辛くならざるを得ない、が試みは評価する必要がある、といったところか。

女王として君臨するため手段を選ばない雪穂が憎くもあり、また身を切る姿は痛々しい。

彼女にとっては過程こそが大切であるはずなのに。

さて、ドラマ版を見てみようか。

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