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2008年4月

機動戦士ガンダム 2

ホワイトベース、大気圏突入

サイド7を出発しジャブローへ舵をとるホワイトベース。補給のためにまずルナツー(資源コロニー)へ向かう。それをシャアが搭乗する戦艦ムサイが追う。

無事補給をすませ、いよいよ大気圏突入。しかしシャアはこの非常識なタイミングで攻撃を仕掛ける。

ホワイトベースは重力による落下の最中、シャアの猛攻を退けるもジャブローのある南米へ降りることはできず、ジオン制圧地域である北米へと降下してしまう。この地域はデギンの末子、ガルマ率いる部隊の制圧圏であった。ガルマとシャアは士官学校での同期で、気のおけぬ間柄だった。シャアはガルマにホワイトベース撃沈の功を譲るべく経路などの情報を与える。しかしこれは虚偽の情報であった。親しき友との認識はガルマのみにあって、シャアにとってのザビ家は復讐の対象でしかない。

シャアの姦計に踊らされたガルマはここで散ることになる。

公王デギン・ソド・ザビには4人の子がいる。長男ギレンは大将、長女キシリアは中将。ドズルも同じく中将。そして末子のガルマは大佐である。シャアとガルマは軍人としてはドズルの配下であった。シャアはガルマを守れなかったとして左遷されてしまう。

一方、ホワイトベースは補給をうけながら、ジオン軍の猛追を退けていく。少年兵たちもいつしかたくましく成長していった。補給部隊のマチルダ中尉に憧れの視線を送るくらいの余裕もできた。アムロも例外ではなく、他のクルーに紛れて好意を寄せていた。

ホワイトベースがアムロの故郷に程近い区域を通過することとなった。アムロは休暇をもらい、長く離れていた母に会いに行くことにした。母との再会を果たすも、この地にとどまる人は皆ジオンを恐れ暮らしていることに戸惑いがあった。アムロは母のもとにとどまらず、軍人として、ガンダムのパイロットとして生きる道を選んだ。それがたとえ人を殺す結果になっても、正義は自分にあると信じていた。アムロ・レイ、16歳である。

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機動戦士ガンダム 1

1.ホワイトベース ガンダムの回収

地球連邦軍の新型宇宙戦艦ホワイトベースがサイド7にある軍事コロニーに寄港した。コロニーで開発していたガンダム、ガンキャノン、ガンタンクの三種のモビルスーツを回収するためである。

シャア少佐はホワイトベースの不穏な動きを感知、旗下のザク3機をコロニーへ潜入・偵察させる。ザクは搬入途中のガンダムを発見、交戦状態となる。ザクに対し、従来の武器しか持たないサイド7およびホワイトベースの連邦正規兵は全滅。

民間人アムロ・レイが防衛手段としてガンダムに乗り込み、ザクを撃退した。

この小競り合いの後、少年兵と民間人がホワイトベースを動かすことになる。本編の主人公であるアムロはパイロットとして存在価値を高めていくこととなる。

このコロニーの住人もまた避難先としてホワイトベースに乗り込む。以降、ホワイトベースは民間人を南米にある連邦軍総司令部ジャブローへ避難させることを主目的とする。(つまり戦争の中心にはいない)ただ新型戦艦であるということ、強力な新兵器ガンダムを搭載していることからジオン側から狙われ続けることとなる。

サイド7の軍事コロニーを出発したホワイトベースはシャアの艦の追撃をうける。アムロは迎え撃つべくガンダムに乗り込む。交戦状態となるも、経験で勝るシャアのザクが圧倒する。しかしガンダムの性能に助けられ決着はつかず。ここからアムロとシャアの長い戦いが始まったのだ。

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機動戦士ガンダム 0-2

0-2.一年戦争勃発

宇宙世紀79年。ジオン公国は地球連邦に対して独立戦争をしかける。一年戦争の勃発である。

この時点でデギンは公王の地位にあるものの半ば失脚しており、長子であるギレン・ザビが実権を握っていた。 

ギレンはアースノイドに対するスペースノイドの不満を巧みに利用し、選民思想へ飛躍させ戦争の大義を説いた。

戦争はモビルスーツとよばれる人型の兵器が重要な役割を果たすこととなる。ジオンはザクというモビルスーツの量産に成功、国力の差を跳ね返し攻勢にでていた。

シャア・アズナブルは戦果を次々に挙げていく。ルウム戦役ではパーソナルカラーの赤に染められたザクに乗り込み、1機で戦艦5隻を沈めたことから「赤い彗星」の異名で恐れられることとなる。

1ヶ月で総人口の半数が死亡。のち8ヶ月の膠着状態が続く。

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機動戦士ガンダム 0-1

0-1.開戦前夜

増えすぎた人口の解決策として宇宙移民が行われるようになった。

人々はスペースコロニーとよばれるシリンダー型の宇宙ステーションで生活を送る。スペースコロニーは数百基の群れをなし、それをサイドと呼ぶ。サイドは1から7まで存在。

最初の移民をもって宇宙世紀に突入することになる。(ヒトラーが中世期の人物という設定なので西暦でいうと2500年から3500年くらいであると思われる)

これら宇宙移民者=スペースノイドがいる一方、一部の者、主に地球連邦政府高官らは地球に住み続けている。スペースノイドに対しアースノイドとよばれ、次第に両者の確執は大きくなっていった。

 

サイド3の主導者ジオン・ズム・ダイクンは地球環境保全から宇宙移民の必要性を強く訴え、さらには人類の革新を説く。生活圏を宇宙にひろげた人類は、広い宇宙へと対応すべく認識力や洞察力が向上し、今までにない能力を身につけることができるとしたものである。このような新しい人類をニュータイプと呼び、サイド3を中心に研究がすすめられることとなる。

地球環境と人類の革新。この2つがガンダムを貫く二大思想なのである。

しかしジオンは片腕的存在であったザビ家により暗殺され、この世を去ることになる。ジオンにかわってデギン・ソド・ザビが台頭。サイド3に公国制を敷き、自身は王として君臨した。

一方、ジオンの二人の遺児は地球のマス家に養子としてかくまわれる。ひとりは兄のキャスバル・レム・ダイクン。いま一人が妹のアルテイシア・ソム・ダイクンである。

数年後、キャスバルは復讐を胸にマス家を後にする。シャア・アズナブルの戸籍、軍籍を手に入れジオンに軍人として舞い戻る。彼がマスクをしているのは正体を隠すためである。

ガンダム各作にはそれぞれ別個に主人公が配されているが、このシャア・アズナブルひいてはジオンの思想が常にドラマの焦点として描かれている。

貴種流離譚としてシャアを考えないとガンダムの理解は絶対に不可能である。

ただ、ガンダムは商業的成功を目的に作られているせいか、ジオンの意思を受け継ぐべき肝心のシャアの思想が不安定だ。意外とガキなのである。ミネバに「様」などつけるはずはないし(ミネバよりボウヤであるガルマを殺してんだから、ミネバへも追放くらいの処置はとるはず)、アムロとの決着をつけるなどと子供じみた考えを持ってはいても大儀のために押し殺すべきである。 

僕なら……

復讐を果たしたあとサイド3に戻り仮面を取る。 

ジオン派とザビ派との争いを描く(ハマーンやデラーズフリートはここで描かれるべきだろう)

連邦の腐敗、ティターンズVSエゥーゴを描く。(カミーユ主人公で)ジオンは当然エゥーゴを支援するだろう。

来るべき独立戦争にむけて準備。 

逆襲のシャア 

という具合にするけどな。

ブライトなんかもかなり移り気激しいが凡庸なキャラクターなのでご愛嬌といったところである。

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機動戦士ガンダム・序

非常に構成がわかりにくい『機動戦士ガンダム』をまとめておこうと思う。年代記風に、少々作品解説をまじえて。宇宙世紀93年まで。

『機動戦士ガンダム』

『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』

『機動戦士Zガンダム』

『機動戦士ZZガンダム』

『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』

今回はあくまで「年代記」なので正史に残らないような外伝的作品は除外する。(たとえば『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』など)

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第十三回 沖で待つ

沖で待つ

絲山秋子/文藝春秋

作品を100%信頼すると言うのが正しい読者としての在り方だというのが持論である。

作品テーマから汲み取れる作者哲学や主人公の貫徹行動に表れるメッセージを手放しで受け入れると言う意味ではない。文章にされている一言一句を、句読点の打ち方にいたるまですべてに意図して創作されたものとして真剣に向き合うという意味だ。

無駄な文字など一つもない。隅から隅まで神経をいきわたらせている。そうしてこそ淀みのない文章リズムがうまれる。

だから裏切られたときには支払った本代とともに酷評の仕打ちを与えてやるのだが。

芥川賞を受賞したくらいなのだからありふれた他愛もない話と感じてしまうのは、僕が読み手として未熟だからだろう。そういうことにしておくのが読者の礼儀である。「つまらない」というのはあまりに子供じみている。

 さて、信頼して読みすすめれば「沖で待つ」とは太が及川を待っているといのがわかる。そこだけ文章が異質だからだ。シーカヤックの話も無意味に及川に話したのではないだろうし。

 そのようなほのかな恋愛小説である。

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四月六日 酒と肴

僕は酒好きとの自認がある。味ではなくて酔っ払う感覚がたまらなく好きなのだ。夢見心地の浮遊感がたまらない。真の酒飲み、アルコールの味そのものを愛しちゃっている人からは邪道やら冒涜やらと罵られちゃうかもしれない。ま、十種類程度の酒は常備してるんだけどね。

さて肴である 酔っ払うのが目的であるので、正直重要なアイテムとは言いがたい。季節を切り取るように旬のものを注文するダンディーなミドルにはなれないだろう。まったく無粋な飲み方しかできない、今のところ。

しかし肴があればあったでうれしい。ないと少し寂しい。

そして料理は嫌いではない。下手くそだけど買い物から調理まですべてにおいてちょっと楽しいと感じる。

問題は肴をつくるのは手間だということだ。酒なら絞った果実とステアするだけなんだけど、肴はそうはいかない。フライパンや鍋だって使うし、ということはそれらを洗う手間も伴うと言うことだ。

酒好きであって肴好きではないので、なあんか本末転倒、というのが最近の悩みである。

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四月三日 傘の墓場

春の嵐はこの国の名物の一つだ。

不利益を楽しめる余裕を身につければ日々豊かになろう。

こんな嵐の中では道行く人々は二派にわかれる。

何が何でも傘をさし続ける人と諦める人。

駅の階段を上りきった正面、手すりには大量の傘がひっかけてあった。三十本はあろうか、どれも骨が折れ使い物にならない。最初の一人が何気なく置いたがためここは墓場と化したのだ。

片付ける駅員さん、春といえば花見だけではないのですぞ。

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四月一日 難解なエイプリル・フール

新年度ということで再開。

“嘘”

なんという魅力的な言葉だろう。様々な思いが渦巻き、淀み、人を破壊してしまうパワーを秘めている。まこと奥が深い。

というわけで、四月一日といえば新年度よりもエイプリル・フールだ。

しかしこのエイプリル・フール、あまり優遇されていない。

学生のころは春休み中ということで日の目を見ないし、お年を召せばそんなものにかかずらわっているエネルギーはない。家族相手にささやかな嘘ついても面白くもなんともない。そもそも春の花のようなかわいらしい嘘(いやいや冗談)は一年中吹いている。

「嘘をつくことが許される」

という死神の交渉カードのような魅力的なエサをちらつかせても

「そういえば昨日エイプリル・フールだったね」

と都市の雑踏にはかなく散るのである。

とはいってもやはり嘘は魅力的だ。

エイプリル・フールがいまいちぱっとしない理由は「嘘をつくことの大変さ」にこそあるような気がする。悪徳だから、ではない。それなりに頭を使うのだ。まこと疲れる。

また意味のない嘘を人はつけない。嘘は必ずどこかに着地しなくてはならない。宙に浮いたままになってしまうと「それがどうした」とひややかな視線を浴びることになるから。

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