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2008年3月

三月三日 なんでもない三月

かつて、大変に印象深かった三月。

冬の終わり、芽吹く木々から緑の匂いがすれば、成長を感じ取れた年度最終月。新たに一つ年を重ねる月。

いまやなんの特徴もない月へなってしまった。

しかし、浮かれ気分を秘めたようなほの暖かい空気を感じれば、なつかしさは蘇る。

三月はなんでもない月になってしまったが、五感が記憶している。

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第十二回 アサッテの人

アサッテの人

諏訪哲史 / 講談社

『セクシーコマンドー外伝 すごいよ!マサルさん』という漫画がある。二十代男性ならかなりの人が知っているかと思う。かつて週間少年ジャンプに連載されていたギャグ漫画だ。主人公の高校生マサルが、彼の荒唐無稽な世界観についていけない周囲のキャラクターを理解不能な言動と超人的能力で煙に巻くスタイルの漫画だ。

「マサルっぽい」。これが僕の初見での感想であった。

「タポンテュー!」

食事中にいきなりそのような発言をするのはいかにもマサルらしい。

「タポンテューって何さー?」となるのがマサルのパターンなのである。マサルこそ“アサッテ”男なのである。

あるいは『羊をめぐる冒険』にでてきた“いとみみず宇宙”にも近い。 

この小説では作者(諏訪)の叔父がアサッテ男である。叔父の日記を並べながら、それに小説の書き手である諏訪哲史がなんらかのコメントをしていく。そして「叔父が主人公の小説を書こうと思ったんだが、荒唐無稽すぎるのでやはり書けない。いろいろと試みてはみたが誰も理解できないだろう。」ということに落ち着いている。ある種の上位概念を取り入れた構成になっている。

また細かなエピソードを一見無作為に並べるやりかたは『風の歌を聴け』に似ている。

「いつから方法論の文学賞になったんだ、芥川賞は」と辟易しながら読んでいた。

しかし『グランド・フィナーレ』の例もあるので、もう少し我慢して読んでみようとページをめくると、徐々に普通の小説になっていった。(こういうのはやってんのか)

後半は、マサル的言動=「アサッテ」がうまれた経緯を叔父の日記をもとに解明していくという話になる。

叔父は生来の吃音により自己表現を剥奪された青春時代を送ってきた。しかし吃音がなおった後にはコミュニケーションの制約に苦しめられることになった。

制約は意思の疎通のための交通整理みたいなものだ。語彙を軸に組み立て、文脈や文法で滑らかにするのがコミュニケーションなのだが、長い間封じられていたせいで万能性を求めてしまっている。便利であるはずのルールを疎ましく感じている。

絶望して、縛られないことがしたい、となかば強迫的に思うようになったというのだ。「気が狂った」とは少し趣をことにする。表現の利便性と限界。機動戦士ガンダムのニュータイプ論のようにもとれるな主題である。

方法論は新しい。

内容は古い(アサッテ、細切れエピソード、ニュータイプ)

構成力はお見事である。

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機動戦士ガンダムF91

浅はかなマイッツァー、逃げる逃げないも一般庶民を戦争に巻き込む時点で貴族失格なんだよバーカ。 
F91_2

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二月

仕事が忙しくて、なんていいたくはありませんな。

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二月二十八日 主体的に学ぶ

エネルギー保存の法則とか量子とか素粒子とかナノマシンとか力学とかいわゆる理系をまったく学ばずにきてしまった。

興味が無いわけではない。むしろ知りたいと思うことが数多くある。欲求は存在するが、一方それを満たすために必要とされる学習エネルギーは弱っている。

矛盾するようだがそうではない。主体的に積極的に苦労できなくなっているだけなのだ。人にわかりやすく説明してもらうのならなんの抵抗も無い。由々しき問題。

大学時代のアルバイト先に東京理科大に通う後輩がいた。休み時間や暇な時間帯に思いつくままに様々質問をぶつけていた。

「興味が○○に集中していますね」といわれた。○○にはいるのが化学なのか物理なのかなんとか化学なのかは忘れてしまった。化学にという幹にどのような枝葉があるのかも知らないのだから。「目の前で起こる現象の理由や成り立ち」に対する質問だったと思う。現在でもそのようなことを知りたいとおもいWikipediaをひもとくこともあるから。

中学の教科書から読もうかな。

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二月二十七日 サントリーニのイアに一目ぼれ

ブリスベンからの飛行機で機内雑誌を手に取った。

「特集 ギリシア サントリーニ島」とかかれてあった。

エーゲ海に浮かぶ小さな島ではゼウスやポセイドンなんかが違う描かれ方をしてたりして、と何の気なしにページをめくった。

目に入ったのはサントリーニ島にあるイアの町並み。一目惚れである。

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二月二十六日 脳内検索メーカー

以前おしえてもらった『脳内メーカー』の姉妹版『脳内検索メーカー』で遊んでみた。姓と名にスペースなしで入力。結果、僕の検索したがっていることは……

女の一生

女の一生

モテ

社交辞令

ヨーロッパ周遊

だそうだ。

“女の一生”がモーパッサンの作品のことを指しているなら検索することもあるだろう。なんで2個あるの?

“モテ”の意味は「人気があること。他人から好まれること。」でいいのだろうか。モテるための奥義を知りたいとは思うが、検索することはないな。インターネットで検索している時点でモテないと思うので。そういうステレオタイプの“モテ”は好きではないので。同じステップで踊るのは盆踊りだけにしてください。僕はこんなだから犬にしかモテないのかもしれないね。もっとも、マニュアル的なモテとは一体どういうものだろう、と一つのケーススタディ(そう、小林緑(『ノルウェイの森』)のような好奇心)として なら検索するかも。

“社交辞令”。調べるか?勘弁してください。

“ヨーロッパ周遊”は、興味ある。時間と金と言語の壁という三要素を乗りこえららればすぐにでも行きたいものである。大英博物館、ロンドン塔、モンサンミシェル、ルーブル、ヴェルサイユ、シテ島、ヴェネツィア、システィーナ礼拝堂、などなど。そして一目惚れしたイアへ。

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それでもボクはやってない

それでもボクはやってない

周防 正行

法律の本質は泣き寝入りである。

被害者救済や平等を謳うということは、被害者になってからじゃないと、不平等が顕在化した後でないと効力を発しないということだからだ。人類の限界点はここである。

手前勝手の卑しい悪徳が拍車をかける。限界点を引き下げる。

一体、第三者の何を信じられるだろう。医者や弁護士や教師、自営業者にサラリーマン、学生も、幼稚園児も己の利益以外に動ける人間がどれほどいるだろう。

僕が信じられるのは、僕が好きになった人たちだけである。

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二月二十四日 日暮熟睡男はいつくるの

閏年が気持ち悪い。二月が二十九日まであることの非日常性に対して、不自然さを感じない自分が気持ち悪い。

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二月二十三日 寄る辺なき春一番

強風が懐かしさを呼び込む。春の記憶をよみがえらせる。

入学、進級、卒業。出会いと別れ。

肌が覚えている。

あまり好きではないかもしれない。儚さが脳裏に散る。

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