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第十一回 グランド・フィナーレ

グランド・フィナーレ

阿部和重 / 講談社

前半と後半に分けられた本作品。ただ単に分けられているのではない。きちんとした構成に基づいたものである。そして前半と後半の断面は、この小説の重要なポイントでもある。 

前半。定まらない文体や作為的な句読点の打ち方が不協和音然とひびいている。国語の教科書には絶対に載らない文章だが、これはそのまま主人公の心の不安定さを描写している結果である。文体自体をこれほど高度な描写として用いた小説はそうあるまい。芥川賞に選ばれた要因はここにあるのではないか。

小児性愛者である自分に対する嫌悪と居直り。中途半端な年齢がもたらす若さへ自負と老いの実感。溺愛する娘との対面への期待と諦観。相反する状況心理が入り乱れ、ジレンマは昇華を迎えることなく混沌さを保っている。鬱屈した心理を文体で表現しているのだ。 

一転して後半はごく一般的な文体。

主人公の心境や境遇の大きな変化後ということで迎えた後半。主人公はすべてを失ったことで、逆に平静さを取り戻している。

勿忘草(わすれなぐさ)にたくした生死物語は古典的であるが、前半の錯乱気味の文章と主人公の変態キャラクターが緊張感を絶やさない。

主人公にしてみればこの後半はおまけみたいなものだ。前半ですべてを失っていることからみても前半こそが「グランド・フィナーレ」であり、後半は「その後の世界」をえがいたもの。

一方これから“フィナーレ”= 勿忘草=死をむかえようとする女児二人。「その後の世界」に生きる主人公と厭世的な二人の交錯を描くことで“フィナーレ”の是非を問うている。

残された者は痛みに苦しみながらも、過去を背負い生き続けなくてはならない。グランド・フィナーレを迎えた後もずっと。

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