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十月八日 木犀花咲く

「♪ハッピーバースデートゥーユー ハッピーバースデートゥーユー」

という歌があるが、はて、誕生日とはいったい何を祝うのか。

馬鹿なこと言ってんじゃないよ、とあきれられそうだが、「誕生日おめでとう」というせりふを純粋に解釈するなら、誕生した“日”を祝うことになるだろう。誕生“日”おめでとう、なんだから。日を祝うなんて、とっても変だ。

では、「ハッピーバーストゥーユー」ならばどうか。しかしバースしたのは産声をあげた過去の一点(全部露出説とか一部露出説とか面倒くさいのはなしだ!)であっていまさら誕生した過去の出来事を祝ってもどこかズレている感がある。なにより独りよがりじゃないか。

誕生日をむかえたあなたよおめでとう、なら的確な表現であるようにおもう。英語で何と言うのかわからないが、祝う対象が人であるほうが自然だ。

仮説1、祝うべきは人である。

しかしまたもや疑問点が浮かんでしまう。 去年の誕生日から今年の誕生日まで一年間無事に過ごせてハッピーなのを祝うのか、それとも来年一年がハッピーでありますようにとの願掛けのような意味合いなのか。

祭事なんかでは一年の無事と、来年への祈願も両方を祈ったり祝ったりすることがある。そこで折衷案をとりたいと思う。

 仮説2、去年一年の無事を祝い、来年一年の息災を祈るものである。

ところで、誕生日ソングはあのよくきく歌だけで日本固有のものは存在しないのか。だとしたら誕生日に祝い事をするというのはキリスト教のしきたりであるはずだ。そういえば欧米諸国ではクリスマスを大大的に祝う。くらべて仏教圏であるこの国で釈迦の誕生日を祝うなど聞いたこともない。ある説によれば釈迦の誕生日は4月8日らしいのだが、社会的には何にもない平凡な日である。

仮説3、誕生日がめでたいという発想は元来キリスト教文化独自のものである。

ならば、イエスを無視するわけにはいかない。

キリスト教圏においては誕生した日そのものを祝っているような気がする。だってイエスさん死んでんだもの。死んでる人間を祝うなんて理にかなっていない。いや待て、復活して現世にいるのか。復活能力がないと祝ってもらえないのか。まさか。

しかし、クリスマスの語源が「キリストのミサ」であることを考慮すれば、生まれてきたことを祝う、ということになろう。対象は生まれた人ではなく誕生という出来事のはずだ。 

仮説4、祝う対象は人ではなく、誕生したという出来事である。

だとすればあの歌が誤解のもとだ。デーの部分は間違いであろう。

さらにいうならトゥーユーの部分がどうもしっくりこない。「あなた」の「誕生という過去の一点」を祝うなんてあまりに閉鎖的過ぎて不健全だ。

それに誕生は全員参加の一大イベントである気がする。閉鎖的というより開放的なイメージがある。イエス・キリストなんて馬小屋で生まれたにもかかわらず、かなり賑やかだ。多くの画家が描く受胎告知を見る限り。

そうか!YOUってのは複数形でもある。トゥーユーはあなたたち家族、みたいな広い意味合いなんだ!誕生は自然発生的なものではなく、父と母に、また多くの人に支えられた一族、また誕生に携わった人共通の幸福なのだ。それを外部の者から祝ってもらうものなんじゃないか。こう考えると誕生という過去の一点の出来事を祝うことになろうとも、独りよがりにならない。 

 

仮説5、トゥーユーのユーは複数形である。

結論 以上から導かれる答えは歌が間違っているということだ。

ただしくは誕生おめでとうである。「ハッピーバーストゥーユー」である。誕生という過去の出来事を祝い、「あなたが生まれたことはみんなの幸せなのよ」という広い範囲のものである。

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