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2008年1月

ただいま 0km

歯磨きしながら

「歯ブラシって一体いつ生まれたんだろう。江戸時代にはあったのだろうか。室町時代にはどんな形状をしていたのだろう。鎌倉時代ではどんな素材だったのだろう。まさか無かったわけじゃあるまいな。口の中きもちわるいじゃん。指ブラシ?」

などといつものようにどうでもいいこと考えていたときにふと思いついた。

ジョギングした距離を足していったら、一体どこまでいけるだろうと。

ただ足すだけじゃなく、その距離でたどり着くはずの街や名所旧跡をバーチャルに記録していったら面白いんじゃないかと。

はじめは地球一周なんていいんじゃないか、とおもい頭の中で計算したら、何十年もかかるじゃないか。はい却下。

というわけでとりあえず日本を回ってみることにします。

企画倒れになりそうだが誰が損するわけでもないし。

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一月二十八日 右手と左手を見比べる

「お菓子は一つにしなさいよ」

というような厳格な、というか一般的な家庭で育ったせいだろう、いまだにそのルールに縛られている。三つ子の魂というやつは厄介である。現在でもスーパーに出かけるたびに、お菓子売り場を行ったりきたりしてしまう。
「このプリンクレープとやらが気になる、しかし待て、森永チョコレートも捨てがたいではないか。板チョコの方が長く楽しめるしな。しかし、おまえ、未知の世界に興味はないのか?後悔しないか?“プリンをそのままクレープにしちゃいました”なあんてあおり文句は伊達じゃないぞ、多分。いやいや新しいものに惑わされるな。老舗を信じるんだ。まてまてまて、失敗と反省から歴史は作られたんだぞ。」
メビウスの輪のような自問自答に苦しんでいるのである。
そして20分迷ったあげく
「両方買えばいいんじゃん」
と気づくのだ。

しかしいざ両方買うとなると、なんだか、後ろめたい気分になるのである。

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一月 第四週

30点です。

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一月二十六日 暗黒ピータン

 中華街へ行った。新年会と称し、普段よりすこしゴージャスな場所へ行ってみようということで、凍る空気の中、石川町まで足を運んだわけだ。

 僕にとってはひさしぶりの中華街だ。前回来たときは女性二人と僕の三人という夢の花畑のようなシチュエーションだったのだが、今回はうらやましがられることなど一寸もない。まあ、味が変わるわけでもあるまい。甘美な記憶は料理長の誇りをもって払拭してもらおう。

  中華は好きだが難が一点ある。僕は割りに好き嫌いが激しく、中華にはその嫌いな食材がしばしば見受けられるというところだ。

 海老、蟹、貝類、烏賊。このあたりが苦手である。特に海老。あれはよくない。そもそも、海の底でおぞましくの蠢いているチョキしか出せない下等生物をよく口にする気になるよ。よくよく観察してみてほしい。赤く染められた背は無数のイボで埋め尽くされており、尻尾は節で不気味な連なりを形成している。そしてどこまでも冷たい瞳。まるで人類の罪深さを責めいるような目つきである。どちらかというと昆虫の領域ではないか。

 そこで選んだのは注文式の食べ放題の店。お値段2830円。これなら豚ちゃん牛ちゃんを集中攻撃できる。他のメンバーは海老でも蟹でも人類の業でも食えばいい。

 まずはオーソドックスなものから攻める。焼売、餃子、若鶏の唐揚げ、チンジャオロースー、炒飯に焼きそば。うまい。さすがにうまい。このあたりは安定感がある。いいぞ料理長。特に焼売があたり。

 上記をひととおり堪能し終えると、食欲よりも好奇心が目立ち始める。注文する品は徐々にマイナー路線に切り替わっていく。それにともない味は日本人にとって馴染みのない、はっきり言うとあまりおいしくないものになっていった。
 
まずは角煮。これは豚じゃなく牛を材料としたものである。牛の角煮だ。ところが味は馬なのである。コンビーフなのである。
 
次は、冷やし豚スネ肉。あくまで珍味の領域である。以上も以下もなくただひたすら珍味なのだ。所詮、といってもいい。
 
このあとも好奇心系料理がぞくぞくテーブルに並んだ。そしてついにピータンが運ばれてきたのである。

 言葉だけは聞いたことがあったが、目にするのは初めてだった。濁った色合いの、そう、ちょうどドブ川のヘドロのような色の卵を、真っ黒いゼラチン質の物質でコーティングした奇妙な食べ物だ。

 決しておいしそうではい。むしろ不味そうだ。しかし食べてみれば美味いかもしれない。何事もチャレンジだ。何、恐れることはない。ここは横浜中華街。中華料理の聖地じゃないか。聖地で不味いものを出す方がめずらしいだろう。よっしゃ、おいしくいただくぜ。

 撃沈。鼻へ抜ける汚臭が生気を削いでいく。
 わからない。中国の人々の味覚がわからない。
 島国日本。
 世界中で繰り広げられる絶え間ない隣国との紛争が、急に理解できた。人種の差はなかなか埋められないのだろうね。

 デザートのマンゴープリンはあたり。杏仁より格上。

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一月二十五日 恋し雪

分かっておりますとも。経験は時間の対価だってことは。

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一月二十四日 百薬なんでしょ

いまだに間違えそうになる。
“お酒は18歳になってから”
こらこら。

 車のほうが危険を伴うはずなんだが、車を日常の足にしている人が多い地域を考慮しているのだろうね。

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一月二十三日 パズルたち

オメガ、神竜改、エメラルドウェポン、ルビーウェポン、オメガウェポン、オズマ、すべてを超えしもの、デア・リヒター、トレマ、マヨル・ヌメルス、ヤズマット。

これらパズルの解も載せようかな。独特なのはトレマくらいだけど。

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一月二十二日 十年ぶりにカシスを買おうかな

Photo

組み上げたベッドサイドテーブル。これは酒が飲めるぞ。

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一月二十一日 食事とアルコールのせめぎあい

 アルコールが液体じゃなかったら、と思った。

 僕は通常食事と酒を同時に味わわない。まずお食事タイムがあって、しかる後にお酒タイムを設けている。時間をずらすのである。鍋をつつきながらビールくらいは飲むが、ボロネーゼを肴にギムレットは飲まない。

ラーメン屋に入ってビールを頼むおっちゃんが不思議でしょうがない。それじゃあ、どっちが主役かわからないじゃないか。第一、腹はいっぱいにならないのか?

法事のあとの精進落では、そうはいかない。やっぱオジサンたちは誰かと一緒に酒を飲みたいらしい。僕も酒はすきなので望むところなのだが、食事時に一杯やるということがふだんないため、戸惑いがある。 

また、懐石料理というものが苦手だ。ちびちび出され欲求不満になるし、そうかと思いきや一気に食べられないためすぐハラ一杯になっちまう。その上、今回の法事ではビールを飲んだため、気泡が胃袋内部を圧迫してくる。

思った。アルコールが液体じゃなかったら一体どうなっていたのだろう、と。

ポテトチップスみたいな袋詰めで「ウィスキーあじ」とか、板チョコみたいに銀紙につつまれていて「ジントニック アルコール23%」とか、自販機ではカロリーメイトの横に「チャイナブルー」があったり。
 
炭酸はできないかもね。食べてしゅわしゅわ? 

それとも気体だったらどうだろう。ヘリウム缶みたいなものに入って。
 
夜景のきれいなバーカウンターで
「乾杯]缶をあわせた乾いた響き。
「夜景がきれいね、シュー」
「君のほうがきれいだよ、シュー」
顔をあからめうつむく女。真剣な視線を向ける男。
「君、付き合ってる人いるの?シュー」
女は沈黙。照れ隠しに気体スプモーニを口にする。シュー、シュー、シュー。
男も間がもたずシュー、シュー、シュー。シュー、シュー、シュー。
マスターに目をやると「VODKA」とかかれた鈍い光の大きなボンベから小さな缶に入れ替えている。

様々、人生かわりそう。

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一月二十日 センター試験の受験生に囲まれ僕は重い家具を持つ。受験生がんばれ。

職場先輩のブログに載っていたIKEAに行った。

ブログにあるとおり、安いが車で来た客前提。5000円払って4000円の商品の発送を頼むほど僕は大胆不敵ではない。

というわけで、重さ13キログラムのベッドサイドテーブルを持ち電車に乗る。

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一月 第三週

正常な生活に戻ったと思いきや、またしてもだらけてしまう。

おまけに年に何度か訪れる「上手く眠れない時期」にもさしかかってしまった。ぼおっとしている。仕事の休みも今週は変則的だったし。

質のよい睡眠のとり方、って努力でできるもんなの?ひょっとして、不摂生からきてるのだろうか。運動をし、野菜を摂り、生活に笑顔があればぐっすりかなあ。

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一月十八日 今年はちょっと渋めの

2006年に個人的に好きだったカクテルはウィスキートニック。やや辛めのお酒。

2007年はカルピスを使った甘いやつ。

今年はなんだろうと、思いをめぐらしてみると、なんだか赤ワインというような気がしてきた。新年早々飲みそびれたし。

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今回のパズル プロトバブイル 実践編

◆実践

前半戦
 
前半戦での全滅はまず考えられない。
 
バトル開始直後、「くものいと」と「うそなき」。
 バブイルの光でカインが戦闘不能となるので素早く蘇生。

 透過レーザーが来たらフェニックスの尾→エーテル。

 エリクサーではいけない。

 一方、セシルとローザのMP回復はエーテルドライを使用。

攻撃方法は瀕死のセシルとローザでふたりがけ「アルテマ」。これオンリー。

下手に手数を増やしてのカウンターが怖い。
 「アルテマ」だけならカウンターは1回のみなので全滅の心配はなし。
 この攻撃1回で約80,000のダメージ。
 あとはメテオなどでダメージ調整
。できるだけ280,000に近づける。

そしてセシル、ローザのMPを満タンにしておき「アルテマ」。

これでプロトバブイルの残りHPは約40,000である。

後半戦
 
ここからが勝負。
「アルテマ」を1回たたきこめば勝ち。
反対に
聖なる審判を2回連続で使用されると負けである。
「やられる前にやれ」という戦いだ。

よってモード移行後最初のプロトバブイルのターンに「かいふく」を使用してきたら勝ち確定。
次のアルテマで撃破できる。
問題は聖なる審判をしてきた時。フェニックス発動で一度は立て直せる。
しかし、連続して聖なる審判が来てしまうとどうしようもない。
素早さ99でも間に合わない。このときは諦める。
ただ、次の行動がかいふくならば来れば押し切れる。

最後まで「アルテマ」で押すが、場合によってはメテオ、包丁で特攻をかける。


◆この戦術に至るまでにいろんな方法を試したので上げておく。

①リディアの連続メテオで押す。

 却下。頑張っても40,000ダメージ程なので削りきれない。

「ふたりがけ フェイス」で魔法攻撃力をあげてみるもダメージ変わらず。

 知性は99がマックスらしい

ローザに「まほうぜんたいか」+「げんかいとっぱ」+
 「れんぞくま」+
「ぎゃくてん」
  をつけて5人デルタアタック連続ホーリー。
  
却下。合計30,000にも届かず。

カインに「ジャンプ」+「あんこく」+「ぎゃくてん」+
 「げんかいとっぱ」
で超ダメージ狙い。
  
却下。ダメージは60,000程度。

 さらに「かいぞう」を加えたところで知れている。
  消費ターンを考えると得策ではない。
  何よりミスが多い。全然当たらない。
④「かくれる」「あらわれる」で迅速立て直し作戦も却下。

まず「聖なる審判」のアクション中に
 「あらわれる」を入力し、
フェニックスの尾を使用。
  次にターンの回ってきた者がエーテルを使おうとするも、

その前にもう一度「聖なる審判」を撃たれ全滅。
    このパターンが何度もあった。
 
「あらわれる」のを少し待って2回目の「聖なる審判」のあとに
 「あらわれる」をするも、その直後に3回目がきた、
  なんてこともあった。
セシルのHPを高く保って「聖なる審判」に耐える作戦。

やはり2連続の審判に阻まれる。

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今回のパズル プロトバブイル 準備編

◆討伐ルール

時間を掛けてアイテムを入手したりアビリティを完璧にそろえるなら、いろんなやり方があるんだろうけど、パーティを強化しまくって倒すのは好みじゃない。僕はシナリオ堪能型のプレイスタイルなのでパーティが強くなりすぎると燃えないし、そんなに時間かけてらんないし。やってらんないっしょ。アダマン5個とかさ。

ルールを設ける。
1,すべてのアビリティは一つずつのみ使用可。※早口は性質上2つ使ってもまあよし。
(「フェニックス」3個とか反則でしょ。それに同一アビリティを複数人につけると個性失われるしね。)
2,レアアイテムは使用しない。
(「アダマンアーマー」「オニオンシリーズ」ドロップアイテムの「リボン」や「リンゴ」など)

◆基本方針
プロトバブイルは「アルテマ」で葬る。

敵の攻撃にはどうせ耐えられないので、立て直しのスムーズさを追求する。

重要なのは素早さ。LV70からは素早さを上げること。

攻撃役(セシル)はそれにプラスして知性を強化。


「アルテマ」を軸にした戦略は以下の新事実発見から。

①プロトバブイルのモード移行期。

残りHP120,000から。

②モード移行後のカウンター。

プロトバブイルは残りHPを120,000切ったあとはカウンターで「透過レーザー」を行わない。カウンターは「物体199」のみである。しかもその発動率は30%と低め。

③「アルテマ」の威力。

「アルテマ」の基礎攻撃力は999。「メテオ」と「バハムート」はともに250。約4倍である。「メテオ」は「ぎゃくてん」+「うそなき」状態で一発20,000だから、「アルテマ」を同条件で使用すると約80,000。

④「アルテマ」の発動条件。

使用者2人の最大HPMPに対する現在HPMPの割合を誤差20%以内にする。


◆アルテマ概要

 セシル、ローザのうち並び順で上にいる者の知性、レベル依存。

「ぎゃくてん」も上にいる者がつけること。

 LV90、知性99、逆転、うそなきで80000から90000ダメージ。

 なお、早口はふたりにつけないと効果なし。

◆パーティ状況
◇ステータス 装備 アビリティ
     カイン(後列) LV90       HP6196 MP264
   
力86 速99 体71 知31 精99
      
ホーリーランス ドラゴンシールド リボン
    ドラゴンメイル 
ドラゴンの小手
       HP50%
 ひきつける がまん アイテム

      セシル(前列) LV91 HP5121 MP590
      
力99 速99 体99 知96 精99
   
ラグナロク クリスタルの盾 クリスタルヘルム
       クリスタルメイル
クリスタルの小手
       ふたりがけ
 限界突破 ぎゃくてん アイテム(はやくち)

  

   リディア(後列)LV91 HP3066 MP682
      
力57 速96 体70 知99 精80
       星屑のロッド
 金の髪飾り
    光のローブ 守りの指輪
       連続魔
 MP+50% アイテム

     エッジ(前列) LV90       HP3853 MP240
      
力65    速99    体48    知38    精99
    マサムネ ムラサメ 源氏の兜
 
     黒装束 ルーンの腕輪
       うそなき なげる かくれる フェニックス
 アイテム

   ローザ(後列) LV
92 HP3187 MP636
   
力70 速98 体79 知44 精99
    賢者の杖
 リボン 
       白のローブ 守りの指輪
       ふたりがけ
 しろまほう 魔法全体化 はやくち アイテム

◇要は全員の素早さを重視した育成をすること。 

 セシルの知性、「ふたりがけ」「限界突破」「逆転」。 

 カインに「ひきつける」と「リボン」。
 これさえあれば勝てる。



◆プロトバブイル

HP 400,000
「スロウ」「うそなき」有効

◇プロトバブイルの行動と対応策
280,000ダメージまで
【9ディメンジョン】「ひきつける」のカインに命中。
 単体攻撃。リボン装備でシャットアウト。
【バブイルの光】カインに命中。即死。フェニックスの尾で処置。単体攻撃。
【カウンター 透過レーザー】精神99で5000、
80で6500、60で7500ダメージ。全体攻撃。
「フェニックス」で対応する。

 すばやくエッジを生き返らせ、エーテル投与。
 エリクサーはダメ。「フェニックス」で蘇生の際の回復
HP
 使用者現在
MP(最大MPとの割合で)準拠。
 攻撃役を瀕死に保つため、

280,000ダメージから
【9ディメンジョン】同
【バブイルの光】同
【カウンター 物体199】即死。しかし所詮は単体攻撃。
 フェニックスの尾で蘇生。
【聖なる審判】普通のパーティなら全体に9999ダメージ。
 
HPをあげたセシルが防御なら耐えられる。
 つまりほぼ全滅する。2、3回連続してくることもある。
「フェニックス」で対応。フェニックス役を蘇生させ
 エーテル投与しすばやく立て直し。
【かいふく】28571のHP回復

◆アイテム エーテル 数個
      エーテルドライ 数個

            
フェニックスの尾 数個 

      くものいと1

         包丁

◆準備    あらかじめ、セシル、ローザを瀕死にしておく。
         
エッジMP50にしておく。


※実践編はカテゴリー「物語 その他」にて記載。


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一月十五日 霜花

ようやく、寒くなってきた。冬はこうでなくては。この冬はこれまでコートいらず、鍋いらず、ウォッカいらず。

大晦日の名古屋は寒かった。キャプテンはよくウォッカトニックを頼んだ。そのたびに僕は店員さんに
「ちなみにウォッカの銘柄は何ですか」
ときいた。ええ、酔っ払っていましたさ。
キャプテンが「スミノフじゃないか」と予想した。僕は「ストリチナヤだったらいいのに」と言った。店員さんはアルバイトらしく、そんなことはわからず「調べてきます」と酔っ払いをあしらった。

積もれ、雪よ。

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ファイナルファンタジーⅣ

ファイナルファンタジーⅣ/スクウェア

・ゴルベーザの音楽がすげえ格好いい。僕がジャイアンツの選手だったら、バッターボックスに向かうときにはこの曲をかけてもらう。

・ストーリーについて言及する。セシルとゴルベーザ、セシルとカインの軸をもっと際立たせてもよかったと思う。リディアとエッジはカットして。
 
群像劇として成立させたいなら、個々のキャラクターのエピソードをインパクトあるものにしないと。そしてそれを物語の本筋と絶妙に絡めたものでないと。神話的手法ではなく、あくまで近代文学のような構成なんだから。
 
セシルとリディアの複雑な関係など素材はいいのに、まるで生かせていないのが残念。出来事がすべて単発で終わっている。行動と感情の連鎖がほとんどみあたらない。心理の綾がでていないのはそのためだ。
 
そもそも簡単にパラディンになれちゃうのがいけない。たったそれだけで贖罪なのか、とかえって醒めてしまう。世界中を駈けずりまわり艱難辛苦の末に、ようやく罪をつぐなえたとすればいいのに。パラディンになるためにすべてのクリスタルの前で禊をしなければならない、とかありきたりなものでいいから。とにかく達成感が欲しいところだ。

・パーティメンバーが入れ替わるシステムは面白い。テラなんか正義のためではなく、完全に私怨のために戦闘に参加しているという、異色の演出もできたわけだし。

・魔法に詠唱時間の概念があるのはいい。リアリティがある。

・シナリオとは別のところで、今作でも“超ボス”が存在する。まともにやっては勝てない敵だ。これはパズルみたいな要素があって面白い。
「『決して答えられない問題』をつくるのと、その問題を解くのはどちらが難しいと思う?解答者は出題者に対し常に敬意を払わねばならない。」
と誰かが言った。敬意を払うかはさておき、自分なりに解を組み上げていく快感というのは、確かにある。

今回のパズルの名前はプロトバブイル。
きつかった。パズルの解き方は次回。

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一月 第二週

ブログ移行に手間取る。
以前はライブドアブログだんたんだが、せっかくだから他のを試してみたいじゃん。

いくつかやってみたけど使い方がわからん。
で最終的にはココログ。まだイマイチ把握してないけど何とか。

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一月十一日 シンデレラ☆エクスプレス

すばらしい。名古屋から新横浜までのぞみで1時間30分もかからない。日本の技術者たちよ、諸君らに幸あれ。
一方の在来線。なんで横浜線は東神奈川でとまるのか。横浜までいけよ。あと一駅なんだから。

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一月十日 脳内メーカー

脳内メーカーやってみた。
イマイチ当たってませんねえ。
四字熟語のほうはそれなり。妄想星人だって。
カレンダーなんてのもある。……ひどいな。本能丸出しのわりには規則正しくて、計算高さがうかがえる。

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一月九日 おばばとまご

「体育座りなんてして。もっとリラックスしなよ、おばば」
「“会議座り”て何や?」
「“会議”じゃなくて“体育”。体育座り」
「は?“退屈座り”なんて座り方があんの?退屈してへんで」
「どこの世界にそんな座り方があんねん!“たいくつ”じゃなく“たいいく”!」
「そんなんはじめてきいたわ」

そうですか。

 

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一月八日 2007年 番付

東                  西

横綱  オーストラリア旅行     横綱  該当なし
大関  ファイナルファンタジー10 大関  雪月花
関脇  カルピスを使ったカクテル  関脇  ドラゴンクエスト8
小結  アクション         小結  該当なし
前頭1 横浜            前頭1 逗子
前頭2 ラスベガス         前頭2 該当なし 
前頭3 模様替え          前頭3 該当なし

コメント
・海外旅行また行きたいね、ああ行きたい。
・映画と小説には縁がなかった。ゲームには恵まれた。今年は小説中心かな。ゲームはほとんどやらない。
・横浜と模様替えは今年に本格化予定。
・カルピスをつかったカクテルは色合いがきれい。スピリッツ+リキュール+炭酸水+カルピスでさまざまなバリエーションもできるし。炭酸水をジンジャーエールやレモンソーダにしてもいい。

 

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一月七日 いるかのおあじ

 いるかを食べました。不味くはない。ただひたすら脂っこい。
静岡県に売っています。
僕が食べたのは東名高速道路、富士川サービスエリア(上り)に売られていた『いるかのすまし』です。

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クリームチーズアンドチョコレート

クリームチーズが余っていたので肴にしようと思ったが、おっと、クラッカーがない。
そのまま食べようとするが、板チョコにのせて食べてみることに。
これがなかなかイケる。甘みと酸味のバランスが面白い。バリエーションも豊富につくれそう。
ロックと一緒にどうぞ。

材料 クリームチーズ……適量
      
チョコレート………適量

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一月 第一週

雑務じみたことが日常生活に蓄積されていて、解消におわれた一週間。
「自分できめたこと」ができず仕舞いだった一週間。
それを刻み付けるためのブログなんだから。もっと、ちゃんと、しましょうね。

 

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たこのマリネ

Photo ・ゆでたこ 80g 塩ゆで30秒 
・おろしにんにく 小さじ4分の1
・オリーブオイル 大さじ2
・レモン 2分1個 しぼる
・ケーパー 大さじ1

・パセリのみじん切り 大さじ2

まぜる、(冷やしたほうがおいしい)以上。

※友人に教えてもらった一品。乾き物に飽きたときにいい。

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アイリッシュコーヒー

Photo

アイリッシュコーヒー

・コーヒー……適量(濃いめに淹れるのがいい)
・ウィスキー…適量
・生クリーム…適量 ウィンナコーヒーのようにのせる


淹れたてコーヒーとあたためたウィスキーを軽くステアする。
生クリームをホイップにするのが面倒なら、そのまま注ぐだけでも可。
その場合はプース・スタイルで。

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一月二日 寒風のイタリア村

 ヴェネツィアをモチーフに造られた名古屋港イタリア村。

 ヴェネツィアは個人的に、行ってみたい町ベスト3に入る。少し前まで1位だったが、現在その地位はイア(ギリシア)に奪われてしまった。

 花と光に飾られたアーチを抜け正門をくぐる。門内に設置されているのはご存知“真実の口”(ローマだがや)。世界一有名な口だろう。

するどいギャグを思いつけなかったので手をいれずにおいた。僕はグレゴリー・ペックにはなれん。

 さて園内。巨大な尖塔を視界の端にとらえつつ見渡すと、来場客に思いのほか外国人が見受けられる。東京以外の、いわゆる地方都市ではそんなに外国人はいないものだ。ノスタルジーに浸っているのか、カンパリのかおりに誘われたのか、鼻で笑いにきたのかは不明だが、とにかく、おかげで異国風情の演出に一役買っている。

 運河沿いの小道を抜け、リアルト橋風の橋を渡りピッコラ‐ヴェネチア本館に入る。

 食材を扱っているコーナーをひやかしてみる。イタリアンは自分でもよく作るので、みていて楽しい。チーズやハムの市場は酒飲みの心をくすぐる。「おまえら、いい肴になれるぞ」と。

 次は麵を見てみる。僕はトマトソースといえどももっぱらリングイネだ。ショートパスタも今度使ってみようかな。

そういえばキャプテン(僕の友人)が大学四年次にイタリアに行ったのだが、そのみやげの「トリュフのパスタ」最高にうまかったなあ。生麵と乾麵の中間くらいの独特の麵と、瓶詰めトリュフを和えるだけのお手軽料理だったが、ギンギラギンの三ツ星。

 あの麵を捜し求めているがここにもない。瓶詰めトリュフも……ない。本場に行かないとダメ?

 小腹が減ってカフェに入る。

 食材市場で話題に出たカプレーゼをメニューに見つける。頼んでみようということになった。自分で作るのとどのような味の差があるのか試してみようというわけだ。他に僕はアイリッシュコーヒーを注文。

 いよいよ運ばれてきたカプレーゼ。店員がテーブルに皿を置いた。
「お手並み拝見ですな」
「ですな」
お互いうなずく。モッツァレラとトマトとバジルを二人同時に口に含む。
「うまい!」
「うん、おいしい」
シンプルながらもほのかに奏でる味の旋律は確かにプロのものだ。
「だけどさあ、反則だよな。うまいのはモッツァレラチーズなんだもん」
そう、ここのモッツァレラチーズは芳醇な風味でかつ臭みがない。
「駄目。料理じゃなくチーズがうますぎる。反則に一票。」
「同じく一票。」
うまいのは料理ではなくチーズ。これでは採点のしようがない。うまい食材をみつけるのも料理人の腕前?ともかく一つ勉強になった。カプレーゼを作る際はモッツァレラチーズにこだわるべし。

 別に頼んだアイリッシュコーヒーもあたり。これは自分で作ってみた。→【カテゴリー レシピ】

 このイタリア村の欠点をあげよう。施設の周りはいかにも「港です、輸出します」といった倉庫が並んでいるところ。レンガ造りの建物の向こうに「○○海運」の看板がみえてしまってはムードも何もない。

 ここは想像力を駆使しよう。僕は今イタリアにいる!

「○○海運」を横目にイタリア村を後にする。やっぱヴェネツィアが行ってみたい町ナンバーワンかもしれん。

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一月一日 そうはいっても意識する元日

今年の目標は多く人に会うこと。……オモテはね。

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十二月三十一日 そんなところで新記録作るなよな、親父

2007年7月28日、父が他界した。

癌の発覚から二ヶ月の生存も許されなかった。

僕の友人たちも心配してくれた。

「できることがあれば手伝う。何でも言ってくれ」

多くのありがたい言葉をもらった。みんなに感謝します。

友人に乞われ、父の容態をメールで伝えていた。たった4回のメールだった。

彼の母も何年か前に癌で亡くなっており、他人事じゃなかったんだと思う。アドバイスをくれるつもりでもあったのだろう。

以下に掲載する。

【六月十一日 告知】

①6月6日、胆のう癌と告知を受ける。

②家族には同日夜、本人から知らされる。

③長男はインターネットや知人を頼りに情報を集める。

④検討の結果、県立がんセンターへの入院を決める。

⑤検査開始。

⑥検査結果。少なくとも早期ではないとのこと。

⑦追加の検査を要する。

【七月七日 余命宣告】

検査終了。手術する方針がかたまる。ただ実際には開腹しないとわからない模様。腹水もたまっている。

⑨一時退院。

再入院。手術の説明を受ける。また、手術できなかった場合は抗癌剤治療を行ない、その場合の余命は1年ないし1年半と知らされる。

7月11日、手術予定。7月11日は長女の誕生日でもある。

【七月十一日 手術日】

8:30 手術のため着替え。

9:00 手術室へ。患者家族には院内使用可のPHSを渡され、手術終了などあればこれに連絡すると説明を受ける。

9:15 家族は病棟の談話室にて待機。テレビではメジャーのオールスター戦が流れている。終了は早くても17:00の予定。長引けば明日までかかる可能性もある。リラックスが必要だろう。

11:00 PHSが鳴る。看護士からで、今から執刀医の話があるとのこと。

11:10 執刀医から手術不可の知らせを受ける。腹膜への転移が原因。余命3ヵ月。急死する可能性もあるという。

【七月十九日 痛み】

術後一週間経過をめどに抗癌剤治療をおこなう予定。

痛みがひどい。モルヒネの量を増やす。

7月17日 退院をほのめかされる。抗癌剤治療ならば通院で十分対処可能なため。

7月19日 容体が悪化。長男、長女とも仕事を早引きして入院先へ向かう。

一命はとりとめたが、抗癌剤治療もできない状態である。今月いっぱいもつかどうか。結局治療は一切できなかった。

以上の事由により報告を終了する。あと報告すべきなのは分かりきった、たった一つの現象を残すのみとなったため。

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十二月三十日 年越奇譚

    四季の移ろいが豊かであることは日本の美観の一つである。その移ろいを丁寧に感じ取るには季節ごとの行事に参加するのが有効でかつ手っ取り早い。さすれば暑さ寒さ、風や雨も時の流れを彩る華やかな素材となろう。僕は季節の行事が好きだ。

とは言うものの実際の僕の腰は重くなかなか行動に出られない。しかし今年は新婚と一緒に海水浴という何とも目のやり場に困る体験があり夏を堪能することができた。

さて、冬である。赤い葉も落ち、うちのチワワ(♀・こまち)も震えだし、今や完全に冬だ。

  冬の行事といえば……そう、初詣である。クリスマスと言わないところが僕の暗い青春時代を象徴しているが、とにかく、ゼッタイ、初詣なのである。初詣に関しては僕はかなりのベテランで、毎年同じメンバーと四人、名古屋の熱田神宮へ赴く。今年で16回目だ。しかしこの初詣、実はかなり凄い。とてつもなくハードなのだ。

人々は年越しの瞬間を神宮で迎えるため22:30頃から徐々に賽銭箱の前に集まりだす。ただの賽銭箱ではなく、境内をまるごと柵で囲い、それを賽銭箱に見立てているもので、幅20メートルはあろう。そして人々はこの賽銭箱をゴールとして列を作り、参道までも埋め尽くしながらまもなく訪れる新年を待つのだ。年明け前のこの時点ではまだ人々はおとなしい。明けた直後が凄いのだ。大勢の人が一気に動くのだが、ちょっと想像できない位の力が渦巻く。僕達は何度も経験しているから大して驚かないが、初めての人は想像を越えた事態に驚愕するであろう。小さなお子様、お年寄りや体の不自由な方など断じて来てはならない修羅の場と化すのだ。西部戦線よりも過酷でニューヨークの路地裏よりもデンジャーなのである。じゃあそんな所に16回も行くなよ、お叱りを受けそうだが前述の通りこれは冬一番の行事だから仕方ないのだ。それに毎年ここで一笑いする。必ず何か面白いことが起こる。もちろん他人の不幸というケースもあるが面白いものは仕方ない。

ある年のこと、その老人はそんな過酷極まる場へ来てしまった。年明けを待ちながら仲間と談笑している最中、僕のすぐ隣にいたのに気付いた。と同時に今年の面白いことはこれか、と直感めいたものもあった。

老人はすでに人に覆われた参道に一人、境内の方を見ていた。信仰心からなのだろうが、これからこの群衆がどうなるか知っている僕には、どうやって向こう岸へ渡ろうかと三途の川の前で思案しているように見えてしまう。

ハッキリ言ってワクワクした。これから起こる混沌とそれに巻き込まれていくこのヨボヨボの老人は一体どうなってしまうんだ、と好奇心が疼いて仕方なかった。       老人を横目に僕は賽銭用の小銭を出し、財布はポケットの奥へと押し込む。仲間とはぐれた時の待ち合わせ場所を例年と同じくおみくじ売場前と確認しあい、目前に迫った新年を待った。

カウントダウンの大合唱、続く歓声。年が明けたのだ。数百人が一斉に動きだす。きた、これだ、この圧力。何度も経験したこととはいえやはりただごとじゃない。通勤電車でラグビーやったってこうはなるまい。個人の意志など完全に無視され、人々のうねりは巨大生物の涎動のようにも見える。各々、多方向から賽銭箱に向かって思い思いに進み、しかも出口は複数あるため一定の流れというものが無い。まだ賽銭を入れてない人、もうお参りをすませて帰りたい人ごちゃ混ぜだ。加えてこいつら気の短い名古屋人。こんな名古屋コーチン並みの短気な奴らがひしめきあっているのだ。死者がでないのが不思議なくらいである。

それでも徐々に賽銭箱に近づく中、見失っていたあの老人を見つけだすことができた。すでに僕との間に数人が入り込んでいたが間違いなくあのヨボヨボじじいだ。何とかこの圧力に耐えていたようだったが、それからまもなくだった。混沌の中

「たのむよ」

とひと言残したまま人の渦のなかに沈んでいった。比喩ではない。文字通り沈んだのだ。ちょっと笑顔だった。「すごいものみちゃった!」と僕の興奮は頂点に達し、早く仲間にこの事を知らせたいと、お参りもそこそこに握っていた小銭を投げ入れた。

おみくじ売場で落ち合った僕達四人は大爆笑だった。みんなあの老人が大混乱のなかでどうなるか注目しており、一部始終を見届けたらしい。抜け目ない奴らである。

「あのジイさんみた?たのむよ、っつって沈んでいったぜ!」

「たのむよって誰に頼むんだ?」

「俺達じゃん?初詣ベテランってわかってさ」

「神サマだよ。初めから目の焦点かあってなかったもん」

などといい加減なことを言い合ってひとしきり盛り上がり「いやー、初笑い」と満足して神宮を後にした。新年早々不届きな四人である。

もちろんあの老人がどうなったか誰にもわからないが、死亡記事を見つけたわけではないので無事なんだと思う。熱田のカミサマに感謝していることであろう。

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ファイナルファンタジーⅢ

ファイナルファンタジーⅢ/スクウェア

 局面にあわせてキャラクターの職業を変えながら進めていくゲームスタイル。

当然シナリオ面でのキャラクター性は安定しないので、ストーリーという点での評価は低くならざるを得ない。バトルシーンで戦略に厚みをもたせるため、主人公は四人組なのだが、シナリオ上では個性はなく、四味一体というような設定になっている。このような工夫は見られるが、ご都合主義といってしまえばそれだけのこと。

 だけど、ゲームとしてはおもしろい。

 また神話、というより宗教観が強まった。

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ファイナルファンタジーⅡ

ファイナルファンタジーⅡ/スクウェア

「当時のゲームとしては異例のドラマ性」と謳われてはいても、“当時”とか“ゲーム”とかユーザーにとっては関係ない。僕は小説、映画、漫画、絵本、舞台、紙芝居、語りなど、どんな表現形態であれプロット面ではのいいわけは許されないと思っている。古典だって面白いものは面白い。そしていつまでも色あせることなく常に新しい。見せ方は異なるのは当たり前だがやり方は無限にあるはずだ。

今後の発展のための実験作。システムも含めてね。

といいつつ、やるとハマっちゃう自分が嫌だ。

 

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ファイナルファンタジー

 ファイナルファンタジー/スクウェア

 ドラゴンクエストと並び称されるロールプレイングゲームの双璧、ファイナルファンタジー。

 ドラクエが写実主義と自然主義の中間であるのに対し言うなればロマン派。もうメロメロである。タイトルからしてライトノベル然としている。ドーリア式に対するコリント式といってもいいかもしれない。

 シナリオはやはりというべきか普遍的なもの。悪く言えば無個性。しかし面白くはある。それこそが“普遍的”の強みであるわけだし。より神話を意識している世界観がそれを示している。古今東西の神々が節操なく出てくるんだから。 

 最後の敵が原初の神である点も、ひねりとまではいかない一般的なもの。始まりと終わりの混在性、不明確さが発想のもとなんだろう。

 輪廻観を取り入れることによって生じてしまう一抹の虚しさを断ち切る快感は、確かにあるが。

 ゲーム業界は一大産業としてますます商品価値が高まっている。とくにファイナルファンタジーは他分野とのタイアップに力を入れている。周辺で稼いでおけば、メインのゲームで多少の個性がゆるされるという計算か。そのせいか最近の作品は芸術志向に傾いてきている。ゲーム自体が普遍的なものになってきているため、シナリオやシステムで冒険ができるようになっているのかもしれない。 

 主題歌や挿入歌を歌手に歌わせたりもしている。歌手にとってもありがたいことであるはずだ。200万人が聞くんだから。CD出すよりよっぽど多くの人に聞いてもらえるわけだ。

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ドラゴンクエストⅢ

ドラゴンクエストⅢ/エニックス

何よりも音楽が印象的だったドラゴンクエスト三作目。

ドラゴンクエストⅢが傑作だといわれている所以は、ゲームバランスや斬新なシステムや、自由度から来る戦略性の幅など、純粋なゲーム面の評価であろう。シナリオ面の評価では決してないはずだ。

またしても、救国物語。だが一歩だけ前進。主人公の父・オルテガの存在が少しだけ物語に厚みを与えた。古典的な手法だが。

 スーパーファミコン版なら、プロは三時間もかからずにクリアしてしまうようだ。彼らの研究熱心さは美しくすらある。最早アスリートだ。

 ちなみに僕は六時間ほどかかってしまう。

  

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ドラゴンクエストⅡ

ドラゴンクエストⅡ/エニックス

茅ヶ崎のダイクマで親父に4980円で買ってもらった。小学校二年生のころだった。

説明書など読むわけもなく、装備の意味さえわからぬままに城を飛び出し、三匹のスライムに囲まれた。あっという間に画面は赤く染まった。はじめてやったロールプレイングのありふれた思い出。

「このゲームつまらない」と内心おもいつつもせっかく買ってくれた親に申し訳ないので「面白い」と言い張っていた。今より8歳の頃の方が気を使えたんだなあ。

時は流れ、「装備」の意味を知ることができた頃、再びカセットを手に取った。

 「もょもと」でなんとかクリア。

シナリオは前作と同様まだまだ拙い。もちろんわざとやっているのだろうが。

しかし個性というのはある。“ドラクエ節”というべきだろうか。

「へんじがない ただのしかばねのようだ…

すごく面白いメッセージだと思う。

   

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ドラゴンクエスト

ドラゴンクエスト/エニックス

小説がうまれて約200年、映画がうまれて約100年。

天才たちの華やかな躍動があり、さまざまな方法論が生み出され、己と向き合うことで生き方を模索した近現代。

一方まだ生まれたばかりゲーム。小説や映画ほどにキャラクター造詣や社会性や哲学はないけれど、神話的普遍性で恐ろしく人類のツボをついてくる。それに小説や映画と違い、まだまだ化ける可能性はあるだろう。

その代表的な作品がドラゴンクエスト。

このドラゴンクエスト自体は他愛ない話。というよりシナリオで勝負しようとしていない。

「ある王国の姫君が悪の王にさらわれた。悪を倒し、王女を救出する。そして王位を手にする。」3000年以上も前から語られつくされている内容なんだから。そんな話でも表現形態さえ変えれば21世紀で通用する。プレイするとはまっちゃう。

徹底的な叙情性の排除。これがドラゴンクエストの特徴。

もうひとつドラクエの特徴を。

魔法ネーミングのセンスが光るという点。たとえば……

ホイミ 治りそうである。

ラリホー 寝そうである。

マヌーサ ミスしそうである。

ギラ 痛そうである。

ベギラマ もっと痛そうである。

子供のころは何とも思わなかったが、絶妙のネーミングではないか。

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十二月二十三日 人は二十時間あれば何を学ぶことができるだろう

  ファミコンが好きである。いい年こいてそりゃもう好きである。

リラックスや気分転換や息抜きや趣味という領域を超えてのめりこんでしまう。衣食住すら忘れ、人間の尊厳を捨て去ってもそれに気づかぬほどである。一日十七時間ほどやったこともある。

しかし思うのである。これはまだ僕がまともだからか、あるいは固定観念に縛られているのか計りかねるが、とにかく思ってしまうのである。

「何という時間の浪費だろう」

 早くてもクリアまで二十時間を費やす。その間に彼も彼女もあいつもルンペンすらも、一つ何かをやり遂げるかもしれない。僕がテレビの前で府抜けている間、瞳に力を宿し、表情は輝きに満たされているかもしれない。

もう一切ファミコンはやらない、と改めようとしても、禁断症状みたいな疼きを完全に押さえ込むことはどうやら難しい。下手に我慢したら精神に異常をきたしそうだ。ここは折衷案をとろうと決めたのはもう何年前だろうか。そんなわけで今はドラゴンクエストとファイナルファンタジーしかやらない。それも正ナンバリング作品しかやらない。

こういう風に決めてしまえばなんてことない。興味を持たなければ、知りさえしなければ耐えるという概念は存在し得ない。

まあ、もともと、ほとんどロールプレイングしかやらなかったし。というより、ドラクエとファイナルファンタジーしかやらなかったし。

「なんだ結局変わってないじゃん」

と言われそうなのでもう一つルールを設けた。それは「シナリオを堪能し、すべてのボスを倒すところまでしかやらない」というルールである。余計なアイテム回収やミニゲームなどは無視する。そしてボスを倒せばさっさとファミコン本体を封印する。

といいつつ「トロの剣」取っちまったんだけど。

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十二月二十二日 冬至に答辞

独立しました。

http://c139.cocolog-nifty.com/blog/

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十二月二十一日 告白

☆1 独立するつもりです。

日記をつける理由はいくつかあるけど、その中に自己管理というものがある。

いまの掲載スタイルでは管理としては十分に果たせていないので。把握できなくてしまってる。

物好きね、といわれれば頷くほかない。少なくとも嫌いではないんだと思う。苦手かもしれないけどね。

アドレスなどは追って伝えます。

あ、ブログの話ですよ。

☆2 M-1グランプリが楽しみである。賭ける思いは嫌というほど伝わってくるし、それに見合った質のよさがある。緊張感みなぎる表情から生み出される笑いは他では味わえない。そして何より面白い。

☆3 僕はスキー派です。

☆4 一歳になったかあ?

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十二月二十日 小春日和

キャプテンが

「松たか子はほんこんに似ている」と言った。見事な観察眼だとおもった。この一言でクラスの松ファンは絶滅した。

最近、電車広告を見ていて思った。

「香椎由宇はハイキングウォーキングの長髪の方に似ている。」

僕にはそう見える。

ハイキングウォーキングとは

「コーラを一気飲みし、ゲップをせずに山手線の駅名を言います」

というネタが売りのお笑いコンビだ。

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十二月十九日 勝利の美酒は静かに傾けるべし

 おそらく、僕が幼少時に剣道を習っていたことと、現在の好みとに関係性ない。

毎年十一月三日には剣道の日本選手権が行われる。テレビで剣道の試合が放映される唯一の日だ。スポーツニュースでも三秒くらいはうつる。そのたびに思う。なんて格好いい姿なんだろう、と。

試合終了後、勝利者も敗北者も互いの健闘を称えあう間のように礼をし、ひたすら静かに競技場をでる。傍らに着座し、面と小手を外し、そこでさらに礼をする。相手が外し終えるのを待っていてでも必ずする。勝てばうれしいに決まっているし、負ければ落胆があるのだが、それでも灼熱の心は封じたまま静寂の中に身をおく。苛烈極める試合の後とは思えない。青い炎のようだ。見た目は静かでも温度ははるか高くたぎっているのである。

普段よく目にするサッカーだの野球だのバレーだのバスケだのの狂乱振りとの落差は、滑稽という名の物差しでしか計れない気がする。喜びを体全体で表す様は子供じみていて短絡的。ファンが道頓堀川にダイブするのがとてもよく似合っている。

剣道と同じ国技でも柔道はもはや白人的享楽主義に傾注してしまっている。一本とってガッツポーズするのがダサい。「残心」という言葉は柔道にはないのだろうか。

チームプレイと個人競技の差はあるかもしれない。陸上競技なんかはわりに「静かに喜ぶ派」だろう。ライバルに駆け寄る姿なんかもみられるし。

またプロ化しているスポーツとは等しく語ることはできないだろう。プロスポーツ選手は、極論すれば人気を得ることが仕事であって、だから、ファンと一緒に踊るのが目的なのかもしれない。

ニューヨークヤンキースの松井秀樹がホームランを打ったときは剣士のような格好よさがある。悠然とダイヤモンドを回る姿には侍の魂を感じる。

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十二月十六日 冬ごもりの休日

ハニートーストが食べたい。

どこに行けばいいのだろう。かつて食べたときは、馴染みの居酒屋のマスターがサービスで出してくれた。僕はそこでしか食べたことがない。いまさらそこへ行って「ハニートースト出せ」とは言えない。

自分でつくってみようかしら。

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十二月十五日 だから心して聴くの

直子はレイコさんに『ノルウェイの森』をリクエストするとき100円を渡す。その気持ちがよくわかる。

 僕には音楽というものに対するキャパシティがあんまり用意されていないようで、流行歌を片っ端から聴くという器用なまねができない。同じ歌手の歌ばかり繰り返し聴く。ヴォーカル入りの曲は声質が気に入らないと軒並み却下してしまうからだ。なのでアイポッドに何千曲入ろうが僕には関係のない話。CDみたいに場所とらないのはいいけどね。

洋楽には伸びしろがあるかもしれない。外国人の歌声には上手い下手や声の調子が耳になじまず、良くも悪くも似たように聴こえてしまう。となればあとは楽曲の要素のみなので多くの歌手のファンになれるかもしれない。耳におぼえた有名曲なんかははまりそうな予感がある。

また、僕はじっくり音楽を聴くということがない。純粋な音楽のためのみの時間というのを、ほとんど持たない。掃除をしながらとか、バックミュージックとして邪魔にならない程度に流すとか、サブ的な役割として活躍している。

ただ、自分自身のギアを入れ替えたいときに聴く曲はあって、そのときばかりはヘッドホンをし目を閉じて静かにきく。聴き終えると曲のもつエネルギーが体に満たされており、さっきまでとは違った気持ちになっているように感じる。

嘘です。本当はそんなに切り替え上手くなくて、でも、特別なときにした聴かない曲はある。『OCEAN』なんかもそう。そうやすやすとは聴けないよな。

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十二月十三日 風花

 歳を重ねるごとに寒さに強くなっていく。 

経験があるからなんだろう。子供の頃は一年がものすごくながくて、昨年の寒さを忘れてしまうが、大人になると一年があっという間で、一月から二月にかけての寒さを、理性的に覚えている。感覚ではなく。そのため覚悟が備わる。「この位寒い」と知っているのだ。太平洋沿岸の都市部で生活する限りは寒いといっても高が知れているし。

 寒い寒いと言いながら買出しに行った食材でつくる鍋と、夏よりも念入りに冷やしたビールが旨かったりする。

 ファッション面でのいいところといえばコートさえ着ていればすべてを隠せるということだ。よれたセーターやこぼしたコーヒーが付着しているトレーナーを着ていても問題ない。

「すべてを隠す」

いい言葉だ。一見完全無欠のようだが、いつかばれる日が来るんじゃないかっていう怯えが心の奥底でくすぶっているようで。

 そういう季節。寒いから寄せ集まる。集まればばれることもある。ばれちゃまずいから精進する。

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十二月十一日 わかったよ、やればいいんでしょ5000回

最近、節目節目とよく言っているような気がする。新たなスタートの日をつくることによって、昨日までの自堕落さと決別しやすくなるんじゃないかって考えてしまって。

さていよいよに迫ったどでかい節目、年末年始。そこで僕は思いついた。この大節目の日を待つのではなく、この日までになにかをやろう、と。きちんと目標たてて。ああ、なんてマエムキ。こんなサワヤカな思考は何年ぶりだろう。ところが束の間、みんなそうやって12月を生きているんだな、と思いついてしまってサワヤカさは吹き飛んだ。またぞろどんより。

まあよい。やる気になっているんだから細かいことを無視する勢いを維持しよう。

最近運動不足だし、体をうごかすものにしよう。簡単なものでいい。自分の掲げた目標をクリアすることに価値があるのだ。

時間をあまりとらず、ちょっと空いた時間にできるものがいいだろう。

腹筋運動にしよう。一日100回で、2000回。正確に計測できるので目標の達成不達成もわかりやすくていい。

しかしちょっと簡単すぎるか。これじゃ晴れやかな年始を迎えられないな。一日200くらいできるんじゃないのか?休日だってあるわけだし、休み休みやればたいして辛くないかも。よし4000回でいこう、と、きりが悪いな。5000のほうが聞こえもいいし、達成感ありそうだな。でもそうすると一日あたり250回……休日に稼げばいいっていったけど、平日できない日だってあるだろうし、一日さぼったら休日は少なくても500回やらなきゃいけないわけだし。そなるとビール飲む時間もとられそうだし。

でも今さら4000回で手を打つのもなんか釈然としない……わかりましたよ、やりますよ5000回。

とぶつぶつ言っていたのが昨日。現在400回。400/5000。8%だ。まだ8%かもう8%かわからんが、とりあえずやってみるよ。

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十二月十日 お寝坊夫婦は浅草にいる

中心にあるべきは、会話。

他のすべての要素は会話を彩る装飾品。

酒も肴も照明も気の利いた音楽も自分自身すらも濃密で心地よい会話のためのもの。

 

共感と対立。感銘と発見。理解と啓発。思考の躍動。再認識への喜び。分かち合えることへ満足感。弁償法的飛躍。僕の言葉彼の言葉彼女の言葉。酔わされ自分が生まれ変わっていくのを感じる。

 

明日への活力となるかはわからない。満ち足りた時間は日常への帰還を拒むから。

だけどそうした宴がまたやってくることを想像できるなら生きていける。

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十二月九日 取り扱い注意

ところでこのブログ、日付が新しい順番に並んでいる。バックナンバーくらいは古いほうから並べたほうがわかりやすいし、読みやすいのだが、そんな機能はないらしい。

なので『オーストラリア旅行記』みたいな連載形式のものは注意が必要です

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十二月七日 ショック

自動体外式除細動器。すなわちAED。

「細動を除く」という意味で、仰仰しいわりには実にあっけない名前だ。

細動というのは、心電図でいうなら小刻みに上下している状態。元気よくどっくどくいっているのではなく、まったいらご臨終状態でもない。つまりギリギリなのである。瀕死なのである。

ここから無理に立ち直らせるのだ。電気ショックによってだ。そう正に無理矢理だ。

この恐るべき救命器具の扱いをならった。

簡単に使い方を説明する。

倒れた人を見つけたらまず意識の確認。反応がなければ助けを呼び、AEDを持ってきてもらう。同時に他の人に119番を頼む。頼みっぱなしである。救急医療はチームワークなのだ。

第二段階は心臓マッサージと人工呼吸。骨が折れるくらいきついマッサージを三十回やったあと、マウストゥマウスを二回。マウストゥマウスは省略可。こういう風に教えるのだ。嫌だったらやんなくていいと。

第三段階。AEDが到着。カバーを外すとアナウンスが流れる。あとはアナウンスにしたがえばいいというわけだ。

救命道具であるのだがこのAEDのパワーは壮絶である。

電気を放つまえに患者の体から貴金属をはずさないといけないのだが、この理由がすごい。外さないと、肌と金属の接触面に火傷を引き起こすらしい。なんという強烈なアンペアだろう。あるいはボルトだろう。

また、AEDを扱う側の人間は患者の体に触れたまま電気を放ってはいけない。触れていると死に至るおそれもあるという。もはや殺傷具である。

そんな危ないもんをむやみに扱わないほうがいいんじゃないのか。人生土壇場大一番最後の奥の手なんじゃないのか。素人がちょっと意識の確認したくらいで、「あ意識ないね、多分だけど。ためしにやってみるかAED」なんて洩らしながらぶっ放しちゃいけないんじゃないか。健康な心臓すら止めるパワーがあるのなら、弱っている心臓なんかイチコロなんじゃないか。そんな破壊力をひめた兵器をだれもが使えるところにおいておいてエスカレートしたイジメに使われたらどうするつもりなのか。

「金持ってこなかったのかよ。おまえ今日罰としてAED踊り決定な」

なんていって。

 

何世紀かたって「すごいことやってんな21世紀の人類は」とかいわれそうだ。ちょうど我々が政治を占いでやっていたとか、天動説とか、ダーウィンの風刺画とかを鼻で笑うように。

だけど実際に人命救っているらしい。直面したら僕はやれるだろうか。普通はできないとおもうぜ。

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十二月六日 イガグリ

父方の祖父が静岡県富士市の山奥に住んでいて、そこには栗の木があった。

栗の木だけじゃなく桃やみかんもあったしキウイの棚もあった。果物のみならず野菜も豊富に育てていた。作物を育てるには十分な広さの土地があったようだ。

 僕は祖父にとって初の内孫ということもあり、とてもかわいがられた。そのせいだとおもう。幼いころからよく祖父の家にいった。行くことが義務だった。習慣化していたのでかなり大きくなるまでその、言ってみればある種の祖父母孝行に疑問を抱かなかった。余談だがその度に小遣いたんまりもらっていた。お年玉袋なんて妹と厚みが違った。

 この山奥の家へよく行っていたので豊かな緑というのは僕にとってはめずらしいことではない。

「木にカブトムシがとまっているのをみたことがない」なんて聞くたびに、自分の育った環境はほんの少しだけ珍しいのだと気づかされたものだ。

 

 秋も深まると、栗の木から実が落ちる。まだ緑色のイガのままのもあれば、茶色く変色してからおちてくるのもある。僕はそのイガから栗を取り出す。

 取り出し方はこうだ。左足でイガが半分隠れるくらいに固定し、そして右足を左足にくっつける。両足がイガに乗った状態になる。体重はかけない。その後に右足をずらす。ちょうどイガの表皮を剥ぐような力のかけ方で横方向に動かす。するとなかから三粒の栗が顔をのぞかせる。

こういったことは当然に行っていたのだが、今考えてみると、お行儀がわるい。かなり悪い。食べ物を足蹴にするなんて、礼儀にうるさい家なら鉄拳ものだろう。

親父のやつだろうな、教えたのは。まあおかげでイガの中に栗の粒が三つ入っていると知ることもできたわけだ。知らない人も多いのではないかな。

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十二月五日 くりホテル

『羊をめぐる冒険』の主人公とキキがドルフィンホテルのことをいるかホテルと言っていたのにならって、モンブランホテルのことをくりホテルとよんだ。

モンブランホテルは愛知県西部にあるごく一般的なビジネスホテルである。名前がユニークだというだけでいるかホテルみたいに特別なものがあるわけではない。

ただし特徴というのはある。

1。駅近である。地下鉄の駅から歩いて五分ほどのところにある。

2。リーズナブル。悪名高き東横インよりもやすい。

3。そして危険。安いのには訳があるといったところか。

この危険度がすごい。はっきりいって死者がでていてもおかしくない。僕が泊まった部屋だけがそうなのかは知る由もないが、これはひょっとしたら建築基準法違反とか、ナントカ法違反とか、法にふれていても不思議はない。むしろ法にふれていないほうが不思議だ。個人住宅ならまだしも、不特定多数の人が利用する施設なのだから許されることじゃないと思う。

本当は何人か死んでいるのかもしれない。

死者が出ているとしたら、死因は転落死である。

ベッドは窓にぴったりとよせられており、その二つの高さは見事に一致する。

窓を開けると手すりがない。窓に危険を促す注意書きもない。何もない。窓を開け放って寝たとしたら、寝返りをうったが最後アスファルトに叩きつけられる。6階だぞ。

もちろん気をつけていればまったく危険ではない。酔って星を見ない限りは大丈夫のはずだ。が、念のため鍵をかけて眠った。

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十二月四日 栗ジュース

 高校のとき栗ジュースなるものが売っていた。正式名称は忘れてしまった。500ml紙パックにはいった100円のやつだ。全国販売していたのかは不明だが愛知県西部限定ということはあるまい。

「うお何これすげえ」

登校途中に立ち寄ったサンエブリーで、友人が興奮気味に話しかけてきた。授業中のものとはまるで異なる悪戯小僧の目の輝きは、何よりも説得力をもって僕に訴えかけた。

「買ってみようぜ」

「お主も好きよのう」

無言で交わした。

 学校に着くや互いに頷きあってふたを開けた。友人がためらうことなくストローですすった。陸上部キャプテンだけあって潔い。スタートダッシュが違う。

「オォエ!」

栗ジュースを僕に託し、その場に崩れ去った。潔さが仇となった。

 注ぎ口から中をのぞくと茶色い液体がゆれているのがみえる。悠然とした中にもとてつもない攻撃性があるようにみえる。透明度はゼロだ。ちょうどコーヒー牛乳みたいな色合いである。しかし雰囲気はそんななまやさしいものではない。圧倒的だ。

 右手に持った栗ジュースと、撃沈した友人を交互に見た。晩秋にもかかわらず汗がにじんだ。裏切ることはできない。友よ、一緒に死のう。白虎隊みたいな気分である。

 教室に16歳の勇者が二人散った。

 栗ジュースはその後、昼休みの罰ゲームにまつりあげられた。みんなで古今東西をやり、負けた者が飲む。ふさわしい使用方法である。隣のクラスからも、そのまた隣のクラスからも挑戦者はやってきた。猛者たちは次々に血祭りにあげられていった。

次回 栗三部作その2 くりホテル

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十二月三日 もえる銀杏

『羊をめぐる冒険』という村上春樹の初期の有名作がある。主人公が背中に星型のアザのある羊を探しに行くという話。主人公の口癖は「やれやれ」である。

『ジョジョの奇妙な冒険』という荒木飛呂彦の漫画がある。部構成になっていて、現在第七部を執筆中である(私の記憶が確かなら)。『ジョースター・サーガ』といったところだ。第三部が最も有名で、人気もある(らしい)。主人公の承太郎たちの旅の目的はディオを探すことなのだが、このディオの背中にも星型のアザがある。そして主人公の口癖は「やれやれだぜ」。

そういえば『羊をめぐる冒険』は鼠三部作と呼ばれる作品群の三番目。またまた共通点。この共通点は偶然だろうね。

ちなみに僕は鼠三部作の中なら二作目が好き。『ジョジョの奇妙な冒険』は第四部がいい。共通点なし。

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十二月二日 花束

ウォッカに酔って外に出る。腹の中では鯵と鮪と烏賊とイクラとツブ貝と鮭と軟骨と枝豆とポテトフライとたこ焼きと(ずいぶん俗っぽくなったな)と砂肝とネギ間がのたうっている。

息が白い。ためらうように冬になりきれなかった外気も12月にはいったということで、遠慮なしといったところ。

星がきれいだ。

★神田神保町会の面面へ。花をどうもありがとう。

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十一月三十日 ある方法

 外では家でつくれないカクテルを飲むべし。

シャンパンベースのお酒は家では飲めない。飲もうと思えば飲めるが、普通は飲めない。そのまま飲むだろ。MOETにオレンジジュース注ぐ勇気はないし、一晩放置して炭酸が抜けるのを待っている不遜な真似はできない。

ああ、はいはいシャンパンベースね。以下を飲むべし。

ミモザ。(オレンジ)

キールロワイアル。(カシス)

ピーチベリーニ。(ピーチ)

スパークリングワインやスプリッツァーじゃ味変わるのかな。

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十一月二十九日 ふさわしいみやげ

東京土産として一体何がふさわしいか考えたことがある。今も考え続けている。

僕が土産としてふさわしいと考えた条件は4つ。

1. 持ちかえることができるもの。

2. その土地固有のもの。土地との関連性があるもの。

3. ある程度の認知度。

4. 伝統あるもの。

よって宇都宮の餃子などは却下。意味わからん。どこにでもあるだろうし、伝統というより村おこしの一環だろ。

山口のふぐも駄目。収穫高が高いだけじゃ認定はされない。審査はきびしいのだ。

ただし「わんこそば」みたいにアレンジがみられるのはオーケイ。わんこそばはもちかえれないので却下だが。みやげであるのかな。

福岡の明太子はオーケイ。

北海道。白い恋人。六花亭マルセイバターサンド。

秋田。きりたんぽ。

宮城。ずんだもち。牛タンは仙台発祥じゃないだろ。それにどこでも食べられる。

南下して静岡。お茶。

愛知は味噌煮込みかな。ういろうもある。

三重は赤福。

奈良。奈良漬け。

京都。八橋。

広島。紅葉饅頭。

香川。讃岐うどんは微妙。審議の対象となった。

さて、東京である。まず第一候補としてあがるのが『ひよこ』だろう。しかしちょっと考えてしまう。これはただのお菓子だ。比較的ポピュラーな味だ。ひよこがなんで東京と関係あるのかわからんし。おまけに福岡の会社だ。条件2に反する。

最近は『東京ばなな』というのもある。しかしなんでばなななのか不明である。東京という文字を商品名につければいいというものはない。

東京ど真ん中生まれの人にもきいてみた。

有名菓子店のケーキという意見がけっこう挙がった。なるほど。土地独自のものではないような気がするが、東京の巨大経済都市という側面に注目すればこれほど土地の独自性があるのもめずらしいかもしれない。

雷おこしはだめ。これは東京みやげじゃなく浅草みやげなので。

もんじゃというのはどうだろう。月島限定なのだろうか。だったら駄目だ。

ペコちゃん焼き。審査以前に誰も知らん。

結局有名菓子店のケーキ(最近はスイーツというのか)が暫定東京みやげとして僕の中で君臨していたのだが、最近ライバルの存在を知った。それは東京都庁に売っているというのだ。

水である。東京の水。缶の中にいれて販売しているらしい。これはいい。条件にぴたりと一致する。これに決めた、と思いきや、不味くないのだそうだ。ちゃんとおいしく加工してあるらしい。それじゃただの水だ。みやげにはならん。やっぱり有名ケーキかなあ。

これまで書いてきて今さらだが、条件をもう一度練り直したほうがいいな。矛盾なきように。これだと鳩サブレーは微妙だし、明太子がオーケイなら茨城の納豆もオーケイにしなきゃならん気がする。でも納豆はどこにでもあるし。

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十一月二十八日 一人称の硬度

「わたし」

「あたし」

「私」

「俺」

「おれ」

「オレ」

「僕」

「ぼく」

「ボク」

「うち」

「ウチ」

「わし」

「ワシ」

「儂」

「わて」

個人名なんてのもあるな。「拙者」「それがし」でもべつにいいけど。

豊富な一人称が迷いを生む。

他人へ与える印象がちがうのは当たり前としてだ、これって自分自身で感じる印象も変わってくる。自覚がちがう。

居酒屋で仕切り屋の友達に「俺はターキーロックで。ダブルで。ライムも添えてくれって言って」と注文してるのと、料亭でお見合いの最中、鹿威しをききながら「私(わたくし)はどうも野暮なもので、趣味らしい趣味はございません。」というのではまるでちがう。

「俺」「おれ」「オレ」は表記の差だけなので、書き言葉の場合にのみ表れる違いだと思いがちだが、この場合も同様にちがう。微妙なトーンのずれがある。

 

そこでだ。俺は「俺」じゃあないのだ。「オレ」でもないし「おれ」でもない。「僕」でも「私」でもない。どれもしっくりこない。違和感がある。なんというか自分に対する響きの硬さが違うのである。書き言葉の場合は「僕」でいい。これがちょうどよい。

そうはいっても一人称をまったく使わず生活するのは無理がある。俺は俺のことをなんと呼べばいいのだ。

そんなわけで仕方なく俺は「俺」として俺をごまかしている。俺は俺だ俺は俺だ俺は俺だ俺は俺だ俺は俺は俺は……

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十一月二十六日 町粧う

年々クリスマス仕様飾りつけの時期が早まってきている気がする。

早いところなんて十月の終わりから観葉植物にライトアップを施している。いくらなんでも気が早いんじゃないの?一年たった12ヶ月だよ。そのうちの2ヶ月をクリスマスモードで過ごすんじゃ他の季節感を見逃してしまうんじゃないかね。

マーケティングの結果なんだろうけど。

クリスマスから年明けまでの一週間がうまく過ごせない。あのあっという間のムード移行についていけない。店主はどんな顔しながらリースを外し門松におきかえるのだろう。

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十一月二十五日 懐かしき面々処々

 引越しを多くしていると、どの土地を懐かしんでいいものかわからなくなる。特定の故郷を持たないことで困るのは動物占いをするときだけだけど。

中学、高校の頃を過ごした名古屋へは毎年年末に行く。そのころの仲間と初詣に行く習慣がいまだに続いているからだ。我ながらしつこい。

それだけじゃもったいない。(ってたいした距離じゃないかもしれないけど)せっかく行くんだし、他の人にも会えればうれしいんだけどね。

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十一月二十四日 小雪に蜜柑

欲しいものはいつだって金で買えない。身長とか視力とかズブトイ心臓とか鋭利な感性とか処世術とかナンパ術とか。

今ほしいのはワタナベにとっての「永沢さんとハツミさん」である。ノルウェイの森。

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十一月二十三日 国民の休日、噛みしめよう

 どこかの企業のお気楽なランキング、あるじゃない。相撲の番付に見立てた今年の流行ったものランキング。あれを自分でもやっているんだが、といっても去年からだけどね、今年ももちろんやる。マイブームってやつだね。

ちなみに去年は

横綱  パルプフィクション 断章形式で見せる作品のお手本。他愛ない話の中にインパクトがある。

大関  パソコン 特にエクセルのチャート製作。まだまだ途上。

関脇  訳あって公にできません。

小結  文学史 歴史の重要性は全てに通ず。歴史の垢ってやつもあるがな。

前頭1 MONSTER B’z再燃。結婚式のせいだ。

前頭2 青い鳥 前半のみ。描写に優れている。

前頭3 ウィスキーコーク 理伽子を思い出してしまう。ま、垢抜けた東京の女をイメージしただけだろうが。

今年はなにかな。

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十一月二十二日 寒くて灯火親しめず

僕は勘が鈍く、悪い作品の退屈さを吟味しないと、いい作品の魅力を理解できない。

そんなわけで、借りた映画がつまらなかったといってもがっかりしない。なんにでも収穫はあるわけだ。わざわざつまらなそうな作品を狙って借りることもある。

邦画三連発。

『花』

『解夏』

『心の砕ける音』

わざわざ。

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十一月二十一日 映画化

『容疑者ⅹの献身』、やっぱりね。

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十一月二十日 ファン心理

 特定のチームを熱狂的に愛しちゃうってのは一体どういう心理なんだろう。まったく理解ができない。狂喜に激怒、果ては暴力。

 たとえば『個人』という名の野球チームがあったとする。『個人』の選手全員がいれかわったとしてもやっぱり『個人』のファンでありつづけるのだろうか。そのチームの持っているスピリットやスタイルなんて踏襲できるはずもなく、チーム名が同じだけで、まったく別のチームだぞ。それでもやっぱり『個人』のファンなのだろうか。仮に『安心』という名の関西に本拠地をもつ、ライバルチームの全員と入れ替わっても『個人』のファンであり続けるのだろうか。

 なんとなくファンです、程度ならわかる。ゲームを見ているときひいきのチームをつくるほうが白熱できるから。また地元のチームの応援というのなら、これもわかる。納得はできんが、まあある程度の説得力は感じられる。チームやスポーツの種類は二の次で地元のファンなのだろうから。

 特定の選手に憧れていて、結果的にその選手が所属する球団のファンというのがただしい在り方だとおもう。いや、本当にスポーツが好きなのなら、そもそもご贔屓の選手やチームなんてできないのかもしれない。試合そのもの、プレーそのものに魅力を感じるのだろうから。

 要は娯楽なんだろうな。眉間に皺寄せて観るよりよっぽど健全だやな。

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十一月十七日 ここから白熱するプロ野球

プロ野球はシーズン中よりオフのほうがおもしろい。

フロントの混沌。監督の反省。ファンの落胆、あるいは狂喜。度を越えた狂喜。選手の転落、大成。強気弱気。各方面反省、居直り、涙、悔し涙。胡散臭い涙。金金金。円、ときどきドル、一時台湾元。

豊富な人間模様にはドラマがあふれている。

 

紳士ぶっている関係者の右目には地位の二文字が、左目には名誉の二文字が甘く漂っている。額には福沢諭吉のウィンク顔が浮かび上がっているのが僕にははっきりとみえる。特に球界一の人気球団のオーナー。しがみつく姿は教科書どおりで滑稽だ。

別に責めているわけではない。仕事としてやっている以上当然のことだ。だれだって英世よりも諭吉の寵愛を受けたいはずだ。ただスポーツというものの本来的目的、というよりタテマエを鑑みると、相容れない部分が多すぎて、目に付き、鼻にもつく。

 

花形選手のうそ臭い涙の会見も、いい。とてもいい。体育会系男子が一番自分に浸りやすいのか?そんなの情熱でもなんでもないよ。見当違いの涙を見ていると僕はぞくぞくしちゃいますよ。

その影で球団に見限られた選手がうどん屋の徒弟として再出発する。こういった人間のほうには涙はない。ひたすら真摯なまなざしがあるのみである。説得力に満ちたまなざしだ。

もちろん僕はこのような不屈さにひかれるのである。応援したくなるのである。偽りの涙なんぞに価値はない。

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十一月十六日 いつのまにか霜降すぎて

 実はこの国に四季なんてものはないんじゃないかって思う。三つなんじゃないかと。

 夏はいい。殺人的とまでは言わないも、やっぱり息苦しいほど暑い日はある。何より湿度の高さが良い。べったりと皮膚の上をなでつけるような暑さこそが個性といえる。

 冬も、まあいい。欧米諸国の寒さに比べると温度はやわらかめだが、暖房で蒸された体を冷ますには心地よい夜風である。

 春のさわやかさも得がたいものがある。桜が終わるや芽吹く草木をみていると新入生気分に浸っている自分に気づく。

 問題は秋である。秋っていうのは残暑きびしい灼熱の日と、上着を用意してないのに突然訪れる寒風のくり返しじゃないか。そのふり幅がしだいに寒さへかたむき、気がつくと冬になっている。小春日和なんて数えるほどじゃん。単なる移行期間または準備期間のような存在に思えてしまう。

 ほらね、あと二週間で十二月でしょ。衣替えまだやってないでしょ。

 だけど秋が一番好きだったりする。

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十一月十五日 多摩センター

90年代トレンディドラマが好きそうな町並み。商社マンと自称オシャレOLに扮した吉田栄作と山口智子が腕組んで歩いていそうである。嫌いではない。計画的に作られているだけあり、見た目もスタイリッシュだし、過ごしやすそうだ。バブルに見放された荒地が少々目に付くがね。 

 

地方のラブホテルみたいな、だが幼児向けの建物を右手にみながら法務局に入る。街はかわれどここの匂いは全国共通なのか。海の近くも杜の中も山の上も、どこでも。

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十一月十四日 朱夏

去りし過去は戻らない。

使い古された台詞。ありきたりの哲学。いきわたった真実。

すべて承知で声に出す。

残された手段はひたむきな抵抗だけだとわかっているから。

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十一月十二日 一ヶ月経って

最終日分執筆終了。

使用しなかった写真を。

またコアラ

コアラ

根がでてる

エミュー

ハイアットの夜

ハイアットの昼

空から

珊瑚

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十一月十一日 記念日

 1111。そういえば今日は同数字が四つならぶ唯一の日。

 昨今この国では毎日なにかしらの記念日や特別な日として指定されているのではないだろうか。元日などの古いものから、バレンタインみたくわりと新しそうだけど世間一般に浸透したもの、ニクの日みたいにごり押しのもの、「二人がはじめてデートしてちょうど一ヶ月目の日なのよ、うふ」というのも含めれば。

 あんまり記念日が多いと「それがどうした」ってことになるんだよな。

 今日は起きたの11時だよ。毎日記念日、毎日節目ならそれは節目とは言わんよね。僕のせいだけどさあ。

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十一月十日 秋葉原が変わってる

 じゃんがららーめんにはじめて行ってから7、8年は経とうか、僕がラーメン好きになったのはこの出会いからである。しかし店は都内五ヶ所にしかないためなかなか行く機会がない。ふだんは横浜家系を代打に起用しているのだ。

ひさびさのチャンスがあったので行ってきた。秋葉原店へ行くのははじめてだ。唾液はあのこってりとんこつ味を激しく求めている。

行列に並ぶと店員がオーダーをとりにきた。

「ご注文はお決まりですか」

「ぼんしゃんの普通で」

「すみません、ぼんしゃんは夜の8時からなんですよ」

「?」

「なにになさいますか?」

一瞬、何言っているのかわからなかった。ぼんしゃんがない?じゃあ一体なんの店なのだ?

「え?他に何があるっていうんですか?」

思わず聞き返した。

店員は押し黙った。

しかたなくじゃんがらを注文。銀座か赤坂まで行こうともおもったが時間がない。まあ、じゃんがらは食べたことないし、店と同名のメニューなのでためしてみてもいいかもしれない。

でてきたのはぼんしゃんとはかけはなれたあっさりとんこつ。がっかりである。僕がラーメン好きといってもこってりとんこつに限られるのである。あーあ、この唾液を一体どうしてくれるんだね。

ただ麺はべらぼうにうまかった。

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十一月九日 蟹蠍魚

7月と11月と3月はそれぞれ4ヶ月間隔である。

この三つの星座、上位のときは上位に、下位のときは下位に、ならんでランキングされていることが多い。

あやしいよねえ。

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十一月八日 占い、ふたたび

「アイラブユーベイビー」と声高らかに歌い上げる午前八時前。まれに熊がでてくるあのコーナー。なぜ熊なのか謎であるしなぜ青いのかも等しく謎だ。金のニワトリじゃいけないのか、蛍光ピンクの牛で不都合があるのだろうか。アルビノの黒豚は?追って調査する。ん?青い鳥?→物語・映像

ところでシロクマは英語でポーラーベアーというのを先日成田で知った。ポーラーって何だ?

 まあよい。占いだ。恋愛運についてふと思ったことがある。

自分の運勢だけじゃなく意中のあいての運勢は影響しないのか。熊×熊なんてすごいことになるんじゃないか。

「二刀流!」

「100×2で200万パワー!いつもの2倍のジャンプで400万パワー!3倍の回転で、バッファローマン、おまえを上回る1200万パワーだ!」

と世の学者を唸らせた魅惑の数式のような運勢の飛躍はないのだろうか。

それとも運勢ってのは固定的で自分以外の一切自由を介入させない独立存在なんだろうか。この考え方はかなり無理があるよね。

別のチャンネルの占いの法則を発見。またあした。

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十一月七日 アンテナ何本

 十月半ばに海外へ発ち帰ってきた後三週間思いを馳せしたためていた。一区切り着いた。 寒さに誘われ見渡せば紅葉している。意識が向かないとこうも見逃すものなのだ。

 ここに日々書き連ねる意義がある。

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十一月六日 メラメラミメラゾーマ

 職場の都合で甲種防火管理講習(ダジャレになってるの今気づいた)に行ってきた。火災の予防や避難経路、訓練など安全管理中心の講習だった。

 200ページのテキストが二冊と予想に反してハード。

 その中に印象的な記載があったので記す。

 火がつくには三つの要素が必要だというのだ。すなわち、

可燃物=燃やす対象物、木や紙など

支燃物=酸素

発火エネルギー=熱

の存在だ。

 そこでメラである。あるいはメラミまたはメラゾーマである。

メラの説明をみると、

「小さな火の玉で敵1体を攻撃」~ドラゴンクエストⅧ 取扱説明書より抜粋~

と書いてある。とてもヘンじゃないか。支燃物はいい。当然空気中に存在するするだろう。発火エネルギーも納得できる。このエネルギーこそが魔法なんだろうから。問題は可燃物である。

可燃物はどこから来るのだろう。魔法といえども可燃物がなければ火はつかない。ギラ系ならば熱のダメージなので問題ないが、メラ系は火の玉による攻撃だから、絶対に可燃物が必要なのである。足元にころがっている草木を投げつけているのだろうか。

 僕は文系ど真ん中なのでこの矛盾をどうにかして物語的につじつま合わせようか思案してしまうのだが、空想科学読本みたいに理系的解釈もきいてみたい。

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十月九日 寒露には三様のファッション

 いよいよ肌寒さが日常化してきた。本格的な寒さはまだまだまだ先だが、遠くに過ぎ去り忘れてしまった冬の空気感をよみがえらせるには十分だ。肌と外気の境目がぴりぴりする。雨がふるとなおさらだ。 

マフラーをしているひともあわれはじめた。一方で肩を出している人も見受けられる。まったく夏から冬への移行ははやい。夏にしがみつく人、冬仕度のととのっている人、秋を堪能する人、ファッションからみてとれるのがこの季節の楽しみのひとつである。

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十月八日 木犀花咲く

「♪ハッピーバースデートゥーユー ハッピーバースデートゥーユー」

という歌があるが、はて、誕生日とはいったい何を祝うのか。

馬鹿なこと言ってんじゃないよ、とあきれられそうだが、「誕生日おめでとう」というせりふを純粋に解釈するなら、誕生した“日”を祝うことになるだろう。誕生“日”おめでとう、なんだから。日を祝うなんて、とっても変だ。

では、「ハッピーバーストゥーユー」ならばどうか。しかしバースしたのは産声をあげた過去の一点(全部露出説とか一部露出説とか面倒くさいのはなしだ!)であっていまさら誕生した過去の出来事を祝ってもどこかズレている感がある。なにより独りよがりじゃないか。

誕生日をむかえたあなたよおめでとう、なら的確な表現であるようにおもう。英語で何と言うのかわからないが、祝う対象が人であるほうが自然だ。

仮説1、祝うべきは人である。

しかしまたもや疑問点が浮かんでしまう。 去年の誕生日から今年の誕生日まで一年間無事に過ごせてハッピーなのを祝うのか、それとも来年一年がハッピーでありますようにとの願掛けのような意味合いなのか。

祭事なんかでは一年の無事と、来年への祈願も両方を祈ったり祝ったりすることがある。そこで折衷案をとりたいと思う。

 仮説2、去年一年の無事を祝い、来年一年の息災を祈るものである。

ところで、誕生日ソングはあのよくきく歌だけで日本固有のものは存在しないのか。だとしたら誕生日に祝い事をするというのはキリスト教のしきたりであるはずだ。そういえば欧米諸国ではクリスマスを大大的に祝う。くらべて仏教圏であるこの国で釈迦の誕生日を祝うなど聞いたこともない。ある説によれば釈迦の誕生日は4月8日らしいのだが、社会的には何にもない平凡な日である。

仮説3、誕生日がめでたいという発想は元来キリスト教文化独自のものである。

ならば、イエスを無視するわけにはいかない。

キリスト教圏においては誕生した日そのものを祝っているような気がする。だってイエスさん死んでんだもの。死んでる人間を祝うなんて理にかなっていない。いや待て、復活して現世にいるのか。復活能力がないと祝ってもらえないのか。まさか。

しかし、クリスマスの語源が「キリストのミサ」であることを考慮すれば、生まれてきたことを祝う、ということになろう。対象は生まれた人ではなく誕生という出来事のはずだ。 

仮説4、祝う対象は人ではなく、誕生したという出来事である。

だとすればあの歌が誤解のもとだ。デーの部分は間違いであろう。

さらにいうならトゥーユーの部分がどうもしっくりこない。「あなた」の「誕生という過去の一点」を祝うなんてあまりに閉鎖的過ぎて不健全だ。

それに誕生は全員参加の一大イベントである気がする。閉鎖的というより開放的なイメージがある。イエス・キリストなんて馬小屋で生まれたにもかかわらず、かなり賑やかだ。多くの画家が描く受胎告知を見る限り。

そうか!YOUってのは複数形でもある。トゥーユーはあなたたち家族、みたいな広い意味合いなんだ!誕生は自然発生的なものではなく、父と母に、また多くの人に支えられた一族、また誕生に携わった人共通の幸福なのだ。それを外部の者から祝ってもらうものなんじゃないか。こう考えると誕生という過去の一点の出来事を祝うことになろうとも、独りよがりにならない。 

 

仮説5、トゥーユーのユーは複数形である。

結論 以上から導かれる答えは歌が間違っているということだ。

ただしくは誕生おめでとうである。「ハッピーバーストゥーユー」である。誕生という過去の出来事を祝い、「あなたが生まれたことはみんなの幸せなのよ」という広い範囲のものである。

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十月七日 はよこい野分

 だめだ。

 

 職場のバックミュージックでとなりのトトロのテーマ「トットロ、トットーロ」ってやつのインストゥルメンタルがながれているのだが、サビの直前「素敵な冒険はじまるー」の部分が、

「卑猥な暴言吐きますー」

に聞こえてくる。 

 疲れてんですかね。

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十月六日 雨中の凱歌

 ついにきた。帰宅時間のにわか雨だ。駅は帰れずたまりをつくっている人でざわついている。そうだろうそうだろう、お困りであろう。携帯電話で家族を呼ぶくらいしかできないだろう。携帯電話なんて科学の結晶を持っているのに、傘みたいな超原始的な道具をもっていないのだ。持たざる者よおどきなさい、人々をおしのけ最前列にいく。人だかりの中央だ。好位置を獲得。ここならみんなよく傘の奴をみることができるだろう。

さあいくぞ。いささかオーバーアクション気味に傘をひらいた。ばさっとマンガみたいな音が鳴るように魂こめてひらいた。

きまった、と思った。傘の奴は注目をあつめたはずだ。さあ、長いあいだ、ただじっとかばんの底でうずくまっていた屈辱を晴らすがいい。思う存分民衆の前で雨をあびるがいい。僕はさっそうと雨の中に歩を向けた。

すぐに失敗に気付いた。ひとびとの顔がみられないのだ。群集の最前列からさっさと歩きだしてしまったために傘が注目されているかの確認がとれない。ばさっ、とひらいた時点で周囲を確認すべきであった。もうこんなチャンスはやってこないかもしれない。振り向いて確認すべきか、それともこのまま歩み去ろうか、迷っているうちに駅は後方に遠ざかる。

それでも傘は楽しげに雨をはじいた。

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十月四日 今日の天気がわからない

『OCEAN』をききながら『忍ぶ川』を読むのがいいんせ。

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十月三日 女心と秋の空、人によるだろ日にもよる

 12月24日にはケーキがよく売れる。ここで重要なのクリスマスイブということではない。売れるという純然たる事実と24という数字なのだそうだ。というのもこの数字は妙齢と上手くリンクしているらしい。23だと早熟で24で売り時、25からは悲しくも値下がりが始まるということだそうだ。念のため言っておくが僕が述べたことではない。聞いた話だ、聞いた話。

 話としてはおもしろく、よくできていると思うが疑問がある。いつまでも若々しい人もいれば、十代から年寄りくさい人間もいるからだ。そう、個人差が計算に入ってないのだ。格言や故事成語はいつもながら一般論で形成される。浅く広くに理解を得られるようにつくられている。仕方ないことだが、だから鵜呑みにすることはできない。戒めとして心に刻んでおくのはいいだろう。

 それとは別に人にも旬がある。人それぞれちがう。もちろん男女問わず、だ。しかもこの旬は一回きりのものではなく、年相応のものとして何年かごとにあらわれる。僕の祖母は年をとっても美人だったし。実年齢にたいした意味などないのだ。

 それにみんな等しく同じ時間の流れを送ってきたはずである。僕も幼年時代には新品の靴で犬のフンを踏んで泣いたし、小学校の夏休みの自由研究には苦労したし、中高は受験で悩んだ。それで今がある。年齢を気にするのは、現時点での達成度、満足度への不満からくるのではないか。まだまだと思うなら精進するしかない。今を一生懸命生きる、己の人生に対する責任感。それが僕なりの結論である。めずらしくキレイゴトを。ま、若けりゃいいってもんでもないがね。

 と言いつつやっぱり少し気になるかな、自分の年齢。がんばらなくちゃ。

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十月一日 夜長in横浜

 とかげのしっぽが千切れる様子を見て、生命感と不気味さと、くわえてどこか取り返しのつかないような、後にはもどれないやるせなさを感じずにはいられなかった。好奇心の目をのたうつしっぽにむけながらも、複雑な感情がせりあがってきた。また生えてくるといってもこれはいけないことなんじゃないかと。

 われわれヒトには備わっていない、特殊能力におそれを抱いてもいたのだろう、と、待て、我々にも似た能力があるではないか。歯である。

 乳歯は抜け落ち、しばらくたつと永久歯がはえる。あたりまえの事実との認識があるが、これはかなりヘンなことなんじゃないか。ヒトの機能において再生などまさに夢物語。虫歯になってもやり直しがきくところはおおきい。

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九月二十八日 秋霖恋しく

 秋雨の季節であるというのにこうも降らないと空しくなる。
 雨の風景はわりと好きだがそういう情緒的なことではなく、かばんの中にその原因がある。
 折りたたみ傘がかばんには常にはいっている。
 小さく軽いもので邪魔にはならないがせっかく用意しているのに出番なく暗がりに潜むさまは、弱小チームの抑えピッチャーのように思え、切ない。
 それでもいざというときにそなえて奴は出番を待ちつづける。驟雨の駅前、困っている人々をよそにさっそうととりだし、存在意義を発揮する晴れ舞台を、楽しみにしている。
 あれ、情緒的

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九月二十七日 忘れ去られた重陽

 チーズ月見バーガー食べなくちゃ。
 ん、月見チーズバーガーだっけ。

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九月二十六日 朧

 占いについて。
 100%信じていない。教育への巨額資本投下と科学技術の恩恵の満ちる世界に生きる現代人として占い、易、八卦、予言などなどとても信じる気にはなれない。
 これはとても個人的な話だ。

 朝八時前のテレビにて
「牡羊座のみなさん。本日のラッキーアイテムは最新型の携帯電話!」
なんてやっているが、ここがうさんくさい。携帯が普及していない20年前なら絶対に言わなかったであろうことが姑息な帳尻あわせのあらわれである。

 また
「双子座のあなたは500カラットのダイヤモンドを持っているとハッピーな予感」
とも言わない。極めて実現困難なことは提示してこない。やはりうさんくさい。

「獅子座の君には絞殺死体がオススメアイテム!」
もちょっと考えられない。入手自体はダイヤモンドに比べると容易だが(世界最大500カラットのダイヤは唯一、イギリス王家の王勺についているもののみ)非道徳的なことは決して言わない。うさんくさい。

 逆に身近すぎるものにも矛先は向かない。
「天秤座の彼女にはずばりコレ!二酸化炭素が一押し!」
なんて聞いたことない。
 
 すでにみんなが持っているものも言わない。
「射手座の方々、今日のラッキーアイテムは100円玉です!」
記念硬貨ならありがちなところがうさんくさい。

 どうも全体的に視聴者に媚売っている気がしてならないのだ。つまりビジネスを感じるのである。

 そう真剣になるなよ、気楽に考えればいいんだよ。との意見があるだろうが、そうなのである。お気楽な遊びなのである。遊びとしての占いは僕も好きで、インターネットで探り当てた占いサイトを片っぱしからやった。動物占い、日本史占い、犬占い、虫占いや、電化製品占いなんてものもあった。ドラゴンボールキャラ占いではブルマだった。

 がははと笑っておしまい。それが正しい占いの利用法である。
 個人的な話。

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九月二十五日 十五夜

 夜のジョギング中にまぶしさを感じ顔をあげたよ。
 光り方が普段と違う。気合が入っている。おそらく奴も知っているはずだ。一年で一番注目されるであることを。見てくれ、俺を見てくれと息巻いている。暴走族のあんちゃんたちみたいなはしゃぎ方である。茶色く鈍いひかりかたをして、垢にまみれた病人みたいにうなだれているときもあるのに。今日はこの目から月までの間に不純物は一切ないような無垢な光を体験した。

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九月二十四日 秋分から一日

 節目を待つ。実際にその日が来ても何てことないんだけど、待っている間はきっと生まれ変われるような気がして興奮の色が強まっていく。
「次の節目がきたら規律正しく生きるのだ!律して、課して、自堕落な生活とは決別する!早寝早起きもする。むにゃむにゃあと5分、はもうやらない」
とえらく強気でいる。

 今日も起きたのは午前九時。まるきり学習できていない。この国に節目はたくさんあるが、連戦連敗だ。
 次の二十四節気を待つ。

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九月二十二日 処暑はいずこ


 月見バーガー食べなくちゃ。

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九月二十一日 陽と闇の分水嶺

 おまけに弱い。
 今日はおまけに釣られてタンカレーを買ってしまった。同じ値段のボンベイサファイアの方が好みなのだが20分迷ったあげく結局おまけパワーに屈した。
 酒類のおまけはいいものが多い。グラス類なんかがよくついてくるのだが、ワイルドターキーのロックグラスは特によかった。形や大きさは手になじみ、申し分ない。すりガラスのような半透明の刻印が美しい。
 膳のまあるい形の製氷器もアタリ。まるくて透明な氷が家庭でつくれるのは大きい。バー気分が味わえる。
 コロナの栓抜きキーホルダーは他にない逸品。限りなくシンプルな形で役割を100パーセントはたす。僕はこれを持ち歩いており輸入もののビールを公園で引っかけるチャンスを窺っている。

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九月二十日 子安

 駅前は楽しい。
 国内にいくつあるかわからないが二つとして同じものはない。それぞれに個性があり、変化がある。建設中の店舗、補修中の公道、季節の商品やキャンペーン、見てとれる変化なので飽きない。歴史すら感じる。人々の表情も駅ごとにちがう。眉間のしわの数から爪のながさ足音にいたるまでありとあらゆるものに差がある。
 本日、また新たな駅に降り立った。
 物悲しげな町だった。これまでに知った数百にのぼる駅前のなかでもベスト3に入る代物だった。立ち並ぶ商店は半数がシャッターを下ろしていた。西日は目抜き通りをくまなく熱し、人の業をあざ笑うかのように町にか細い影をおとす。人々は白々しく日常を送っている。人が町をつくるのか、町が人を拘束しているのかわからなくなる。

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九月十九日 熱さあっても日が落ちるまで

 観光地のみやげもの屋が苦手である。
 旅行者目当ての店構えや価格設定、あるいは品揃えふだんならそんなもん絶対に買いませんよというようなうかれた商品を惜しみなく並べる厚顔ぶり、いや、むしろひっ迫感か。一方となりの店に目をやると、地元民のための商店が立ち、生活臭が立ち込めている。この無慈悲な仕打ちを見ていると悲しくなるのである。

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九月十八日 秋は食欲か

 食欲の秋。
 いつ誕生していつ滅びた言葉なんだろう。どういった階層のための言葉だったのだろう。まさか農民が
「今年は飢饉がチョーひどくてぇ、吾作もおりんも死んだけど、秋はやっぱ食欲の秋っていうしー、だから年貢とかカンケーねーっしょ?吾作とか『年貢に手をつけてはならん』とか空気読めてないんですけど」
とは考えられない。

 吾作が飢え死にして400年たった2007年秋現在、この国では季節毎に全国全世界の旬のものが食べられる。
 空調の完備により夏だからとて特別食欲減らないから秋が特別に感じられないし。
 秋刀魚は秋に限るがね。

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九月十七日 今年最後の真夏日は今日か

 九月も後半だというのに真夏さながらの気温。暑い、というより懐かしい感じが先にたつ。
 困るのは衣替えのタイミング。面倒だからやっちまおうか、と思った矢先に30度をこえる。涼しい日が続いても10月まで待たなきゃならんね。
 もっとも僕は真夏でも長袖着ているんだけど。

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九月十五日 二百二十日数えつつも一日を大切に

 これといった予定のない休日の朝の葛藤。 せっかくの休日なのでだらだら惰眠を貪るか、平日と同じ時間に起き充実した休日への第一歩をさわやかに踏みだすのか、迷う。 多くの場合、寝る前は「よし、ちゃんと起きよう」と目覚ましをセットするのだが、朝になって「あと五分……むにゃむにゃ」を四回くりかえしたあと、いなおって眠るというパターン。 一生くり返しそうである。

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九月十四日 白い悪魔

 衝撃的な出会いがあった。
 突然の出会いというわけではない。ある程度予期してはいた。これまでもよく噂を耳にしていたし、僕自身興味もあった。その意味で決してドラマチックではない。
「うわさ先行で、実のところたいしたことないんだろ」
というのが出会うまでの印象だった。たかをくくっていた。しかし予想をはるかに超えた出会いであった。
 バリウムとの出会いである。

 あれほどひどいものだとは思わなかった。
 そもそも診察をうけるかっこうがよくない。シャツもズボンも脱がされる。靴下とパンツだけなんてプロレスラー以外にみたことないのに、鏡のなかにみつけるとは思いもよらなかった。隣に控える白衣の二人は、
「検査ですから、私たちプロですから」
といった顔つきだが目の奥は笑いに満ちている。
 ここにヒエラルキーが形成されてしまう。衣服を身につけていない人間は服を着た人には抗えないらしい。姑と小姑に挟まれた貞淑な新妻のように肩身がせまく、元気をなくしてしまう。バリウムとの戦いが始まる前から形勢は圧倒的に悪い。
 次に登場するのは発泡剤である。粉ぐすりのような粉末を含み、ついで少量の水を流し込むと口内で炭酸水となるしくみだ。胃を膨らませるのに必要らしい。飲んだあとゲップをしてはいけないのだが、ゲップがノドボトケのあたりまできてから言うのである。ゲップを我慢するなんて人生初の経験である。生理現象の我慢ほどつらいものはそうあるまい。目を白黒させながら検査室に移動するといよいよ真打、バリウムを渡される。

 バリウムが苦手な人が多い原因は味に問題があると、僕はこれまでおもっていた。ならば対抗策は簡単、一気飲みである。ぐいと一口、ゲップをこらえながら流し込もうとした。
「お、ぜんぜんまずくないじゃん。それどころか甘みがあってわるくない味だ」
などと余裕を持ってかまえていた。が、次の瞬間、地獄にいた。バリウムが喉に入っていかないのである。粘度がものすごく高いのだ。たとえるなら「煮詰めて溶けはじめた餅」というのが一番近い感じだろうか。少なくとも「飲み物」の領域ではない。それを一気飲みしようとしたのだから、体は拒否するに決まっている。下からはゲップが蜘蛛の糸にしがみつく亡者のように狂おしく出口を求め、バリウムは喉を通らずやはり出口を求めている。この猛者どもに白旗をあげようとするも、技師が
「飲め、グーっと最後まで飲め」
と言うのである。意識が遠のくように感じられる。しかしパンツ一丁だから滑稽極まりない。
 あとは技師に言われるがままである。上向いてだの下向いてだの、検査マシンのうえでアクロバティックに舞うしかない。

 検査を終えて真っ先にやったことはもちろんゲップだ。特大のを三発やった。ズボンをはくことより優先せざるを得ないとうことが、バリウムの不条理さを物語っている。


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九月十三日 待宵も曇ったら彼岸花

  十五夜は知名度の割にやることがない。やるひともいない。各月にはそれなりの季節の行事がある。正月節分桃の節句花見端午の節句プール開き七夕盆踊り、ときて体育祭文化祭二年参り。クリスマスと書かないところが僕の暗い青春時代を反映しているがまあいい。
 九月は行事らしい行事がない。学生時代を反芻してみても記憶にあるのは夏休み明けの倦怠感と台風による休校の期待感。
 十五夜はもっと盛んになってもいいとおもうけど。曇りだったらアウトなのが原因かねえ。地味だし。きれいなんだけどね。空気が澄んでいて明かりのすくない時代の月はきっと神々しくさえあったのでしょう。
 
 年度ごとの十五夜は
  2006年 10 6
  2007年  925
  2008年  914
  2009年 10 3
  2010年  922

 九月にはお彼岸があったか。思いだせんとは不届き者。

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九月十二日 今年の秋は本日より始まる

 秋がはじまったようだ。 
 暦はすでにかわり、空は高さをとりもどし、そして今日肌が寒さを訴えた。草木が色づくにはまだもう少し時間がかかるだろうけどアイスコーヒーは終わりだね。
 イチョウ並木の下タバコの吸いがらを拾っているおじさんもすずしげだ。動きがいい。八月には暑さで奉仕精神も溶かされていたのだろう、埋め合わせるように淡々と活動にいそしんでいる。二週間の差が町をきれいにするようだ。
 なんだギンナン拾ってんのかよ。はいはい、くわえていたタバコもすてました。
 年中かわらない光景もあるもんだね。

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九月十一日 フロントガラスは遠慮がちな雨にすら破れ去る

 車のワイパーってのは進化しないのかね。まるきりバッタの足だよ。対向車とすれ違うたびに足足足足足足足足足と感じてしまう、きもちわるい。子供のころにはバッタの足だけをつまんで虚空にあえぐ姿を楽しんだものだがなあ。規則正しくうごく様がなお悪い。北朝鮮の軍人みたいだよ。

 傘も進化してないらしい。折りたたみ傘なんてマイナーチェンジじゃなくて、そう、ウォッシュレットみたいな革命的なやつがほしい。
 僕は傘のさし方がへたでよくぬれる。雨自体は嫌いじゃないんだけど路上をいく人々が僕ほどぬれてないのをみかけるたびに敗北感におそわれる。頼むぜドクター。

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九月十日 白露、榊の上に

 父方の実家が静岡の山奥にあって、子供の頃によく行ったんだけれど当時はただ田舎だな、としか感じなかった。なんせバスの終点から更に25分坂道を登ったところにあり、富士山は目の前にせまる。樹海なんてすぐそこだよ。昆虫がでかいのなんの。ああそれに水がうまかったな。水がうまいっていかにも田舎っぽいよね。
 久しぶりにいってみたら、印象がまるで違った。独特の風景が広がっているのに気づいた。お茶畑だ。石畳みたいに折り目正しく並んでいる黄緑色が美しい。日本の田舎風景も植物一つで様々楽しめるようだ。

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オーストラリア旅行記 最終日

十月十五日

ホテル~ブリスベン国際空港~飛行機~成田空港第二ターミナル~自宅

3:55 はいはい、起きましたよ。二度寝はなしですよ、さすがにね。

こんな時間におきるなんて、カブトムシ捕まえに行っていらいだよ。あたりは暗い。

4:30 荷物をドア内側に置き、部屋を出る。フロントに行ってチェックアウト手続きだ。といってもカードキーを受付台の穴へ落とすだけ。

5:00 迎えが来る。日本人ツアーコンダクターだ。

他のホテルで二名をひろい三人で中型バスに乗る。当然眠る。ねむりは断続的だ。途中、渋滞していた。オーストラリアの渋滞も見ておきたかったが、眠気には勝てん。

 ブリスベン国際空港に到着。成田から出国したときと同様の手続きを踏む。

無事に税関通過。電光掲示板をみると搭乗手続きまでは1時間以上ある。さあ探検だ、といってもこの空港は成田と比べるとせまい。すぐに終わってしまいそうだ。まあいい。みやげ物屋をひととおり見てまわろう。さて、所持金はきっかり20ドルだ。これを使い切るか、中途半端に使うか、あるいは使わずにおいておくかの三択。機内食までに腹が減ったときのことを考えてチョコレートを買っておくか、しかしそうすると中途半端に金が残るな。今は20ドル札一枚だからいいけど。今さらドルをじゃらじゃらいわせてもなあ。どうせあと1,2時間で機内食だろう。行きもそうだった。ということで20ドル札1枚持って帰国することに。

待ち合いフロア。久々に群集の日本人をみた。白人に見慣れているとなんだか不気味にうつる。不気味というよりダサい。日本人はもうちょっと恰好つけたほうがいい。

8:50出発。帰りの飛行機はアタリだ。席は窓際。テレビ画面が前の座席についていて、つまり個人がそれぞれ気に入った番組を見られるというわけだ。これには飛行情報閲覧機能も搭載されており現在の状況もわかるようになっている。高度11000メートル、速度時速983キロ、外気温マイナス46℃。10キロって以外に近くかんじるんだね。

離陸してしばらくするとフレーザー島、そしてレディ・エリオット島がみえてくる。さすがに速い。高度も高いためとなりのサンゴ礁も視界にうつる。北へ向かうにつれ徐々に礁が大きくなる。ほんとうだ、ほんとうにレディ・エリオット島はグレートバリアリーフの最南端なのだ。

10:15 機長のアナウンス。グレートバリアリーフ上空を通過中。今さらかよ。

映画タイム。

『キサラギ』→面白かったのでいずれ139で。

『ダイハード4.0』別に。どこかで聞いたことあるはなし。

『1408』別に。どこかで聞いたことあるはなし。

11:25パプアニューギニアの首都、ポートモレスビー上空を通過。

30分でパプアニューギニアを縦断し、映画鑑賞のうちにグアム、硫黄島を抜ける。旅も終わりに近づく。

16:45 成田空港到着。

帰りの成田エクスプレスにはまだ45分時間がある。マックシェイクでも飲もうと空港にて休憩。しかし時間をもてあまし結局歩いてしまう。

成田のみやげ物屋は日本のものが中心だが外国のみやげを扱っている店を発見。ハワイみやげやらグアムみやげやらトルコみやげやら各国のスタンダードみやげがそろっている。どきどきしながら店内をまわると、そりゃどきどきするさ。だってわざわざ荷物増やして遠く海外から持ってきたものが売っていたらと考えると……ああああ、やっぱあったよ、オーストラリアみやげ。向こうで買ったやつも売っている。しかも安い。それに、ああ、なんてことだ。ガイドの奴がここでしか手に入らないと言った商品も売ってる。やっぱり安くその上ばら売りしてやがる。

教訓!みやげは成田で買え。

成田エクスプレスは千葉、東京、横浜を快調に飛ばしてゆく。ホームには普通電車を待つサラリーマンやOL、学生が無表情のままあふれている。車内の乗客も減り次第に旅行気分はうすれてゆく。

帰宅。夜飯はご飯と味噌汁オンリー。美味いねえ。

さて、オーストラリア旅行もこれにて終了。行く先々でとったメモを片手にさっそくブログ作成といきますか

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オーストラリア旅行記 4日目 4/4

帰りは直行ではなくハービー・ベイに立ち寄った。フレーザー島のすぐ近くに位置し、その世界一の砂島へはここから向かうのがポピュラーだ。残念ながら今回は飛行機の中からの眺めで我慢。過去、鳥取砂丘を駆けおりたように砂撒き散らしてやりたかったのだが。

僕が新しく足を踏み入れた地域を歩き回るのは、街という点とべつの地点を線で結ぶだけでは物足りなく、面で把握したいからだ。事前に地図を頭に叩き込んでもよいのだが、やはり五感を駆使したい。というよりも面倒くさい。

 飛行機からながめるのは、五感の制限こそあれ面の把握ということなら打ってつけだ。これくらいの高度ならある程度三次元把握も可能であるし。ところでgoogleマップ、すごいよねえ。

16:00に出発空港に戻ってきた。半日のことだったが決して他では味わえない黄金の体験だった。車でサーファーズパラダイスまで送ってもらい、ガイドさんと固い握手をかわす。

16:40 戻ってきたサーファーズパラダイスは昨日までとはことなり、活気なく、閑散としている。そういえば日曜日だ。なんというか、おあつらえ向きだ。明日は日本へ帰らねばならぬから。頭の中で蛍の光が響く。

みやげを買わねばならない。チョコレートをいくつかと紅茶を選択。カンガルージャーキーは高かったので見送る。試食したことで満足できたし。30$ほどのスパークリング赤ワインを買おうとも思ったが、僕は機内持ち込み手荷物だけなので税関でストップがかかってしまう。100ミリリットルを越す液体をもっていると税関ではじかれるのだ。液体を持ってかえるならスーツケースが必要となる。試飲するとかなりイケたので買ってかえろうとしたのだが断念。【83$】

最後の夜ということで、ステーキを食べに行くことにする。この界隈で日本人むけの有名店があったので、そこへ行く。まあまあだ。とりあえず後悔はしなくてすむ味。【28$】

みやげを部屋に置き、再び歩く。これで最後だ。今宵の目当ては南十字星。南半球でしかみられない星座は新しいものが多く、ギリシア神話なんかには当然でてこない。南十字星も100年そこそこの若い星座だ。南十字星が有名なのは、全天球で最も小さい星座であること、構成する4つの星がそれぞれ明るいこと、そして、北半球でいうところの北極星の役割を果たすということからだ。しかし!サーファーズパラダイスではあんまり星座がみられない。ホテルの明かりのせいで東京と大差ない。深夜ともなればそこそこ見られるのだが明日の起床時間は3:55である。万が一寝坊したら……と考えると早く寝ないといけない。よし、ここは思い切って繁華街から離れてみよう。暗いほうへ足を運んでみよう。キャデラックに拉致される覚悟をしたのだが、ものの10分歩くと河畔に出た。このまわりは一軒屋なので暗さもままある。しかし西向きだ。南の空はホテルのあかりでやはりみにくい。穴が開くんじゃないかってくらい夜空に視線を這わせたが、みつからない、時間切れだ。

22:00 就寝 チップは残りの硬貨をすべて置くことにする。メモ帳で折った箱の中に。

最終日につづく

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オーストラリア旅行記 4日目 3/4

非常識な色合いと海に不釣合いな静けさ。あらかじめ情報がなければこれが海だとは思うまい。

名のとおりサンゴ礁(コーラルリーフ)がバリア状に広がり遠洋からの荒波をさえぎっている。どこまでもおだやかな波打ち際である。森の泉の精霊も住めそうなくらいだ。遠くに、そこは礁の切れ目なのであろう、白波がみえる。

その海に一歩二歩はいっていくと、神聖なものを侵しているような気がしてくる。とてつもない時間と度重なる偶然がつくりあげた地球の結晶をむげに扱っているように思えてしまうのだ。

しかし何と言っても6万円である。はっきりいって神もひれ伏す金額だ。侵したとしてもお咎めなしであろう。咎があっても、論破してやる。

Photo_22

サンゴに気をつけながらシュノーケリングで泳いでいく。ここらの深さは1メートルくらいなのでうまくやらないとサンゴを踏んでしまう。

子供が冗談で塗ったような原色の魚がおよいでおり、海底には黒いナマコが沈んでいる。こういう世界も本当にあるのだ。この景色のなかでサンゴや魚やナマコたちと、一瞬でも共存しているのが信じがたい。手の届く距離に未知の世界がある。

9:45 今までのはいわば練習。メインのシュノーケリングスポットへ移動する。

 島の反対側まで、トラクターというか、エンジンつきリヤカーというか、とにかく車両で移動。

 太陽の関係からこちら側のほうがさんご礁が発達しているらしい。たしかにバリアがさきほどの海岸よりとおくにある。

10:15 小型の船で十五分くらい沖へでる。島から200メートルくらい離れただろうか、船は止まった。どうやらダイビングスポットについたらしい。

 真っ先にガイドさんが海へ飛び込む。

「天国がまってるよ、はやくおいでよ。」

ガイドわすれて楽しんでやがる。はやくって、あんたがはやすぎるんだよ。しかし、ガイドさんがはしゃいでしまうのも無理ない。10メートルくらいの深さなのだが透明度のおかげでくっきりと海底まで見渡せるのだ。視界にうつる魚は種類も数も多く、単独やつがいや群れなど形態も様々。ウミガメまでも平然と泳いでいる。

僕は楽しもうと、力のかぎりをつくして努力した。

11:30 昼飯

 バイキング形式である。米はこちらに来てはじめての長粒種。ぱさぱさであるが、日本米などいつでも食べられる。

 海岸で魚に餌付けをやったあと島を一周してみることにする。やっぱ歩いてしまう困った性質である。出発まで2時間弱。まあいけるだろう。

強い日差しのなか島を時計回りに歩く。サンゴが砂のように細かいところと、そうでないところがあるのは風や潮のせいなのだろうか。

しばらく行くと青いヒトデを発見。いつのまにか背後に来ていた外国人が

「Star fish?」

ときいてくる。

 僕はそのヒトデを持ち上げることで、答えに変えた。デジカメを持っていたので陸に

あげてやった。Star_fish

「Thank you」

とその外国人はいってシャッターを押した。

「It called “HITODE”in japan. Mean is Human hand.」

などと片言の英語でもいいから言ってみればよかったと思ったのは飛行機にのってからである。ヒトデってすげえセンスあるネーミングだと思うぜ。

 島の灯台をこえ、先ほどの船着場をとおり、渡り鳥の止まり木のある地帯を過ぎる。スタートした地点に戻ってきた。寄り道しながら歩いても、一周45分。ちいさな島だ。

Photo_23

※一匹一匹巣のようなものをつくりそこにとまっている。

もうこの島ともおわかれだ。おそらく二度と来ることはあるまい。サンゴの死骸が人骨の破片のようにみえてきた。それは寂しげだった。僕がこの島をさったずっとあとまで徐々に侵食されながら砂に還るのをまつのだろう。

14:00 サラバ

ちびノリダーが病気の妹のために一生懸命集めていた死んだサンゴをみてガイドさんが

「あまり多く持って帰らないでください。というのも税関で見つかってしまうと罰金ですので。小さいやつなら大丈夫だよ。」

どれを持ってかえるのか思案しているのか、ちびノリダーは集めたサンゴを丹念にみていた。

再び空へ。

つづく

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オーストラリア旅行記 4日目 2/4

8:30 海原に島がみえてきた。飛行機はゆっ くりと旋回する。パンフレットと同じ構図になった。まちがいない。レディ・エリオット島だ。

島の中央をつらぬく形で設けられている滑走路はアスファルトではなく、土である。サンゴの死骸と鳥の糞だけで形成されたこの島には土を持ち込むのさえ抵抗があったのかもしれない。

かつてこの海域では座礁が多かったために灯台がつくられた。およそ120年前のことだ。その時代に環境保全とういう考え方があったのかは定かでないが、現代にはさすがにアスファルトは持ち込めまい。

飛行機から降りる。ぐっと体をのばす。超快晴である。風は生暖かく、ゴールドコーストとは異なりほぼ100パーセントの自然のためか肌が感じる空気感に温度や湿度以外の差がある。渡り鳥は近寄っても逃げない。

トイレに行ったあと、島にある小屋の更衣室にて無料レンタルのダイビングスーツ、シュノーケル、足ひれを装着。無料といっても6万円のなかに含まれているんだろうけどな。

ガイドさんから注意が少々。

「サンゴにさわらないようにして。サンゴは硬くて、こするとケガをしてしまうよ。またサンゴ礁の方も破壊されてしまうおそれがあるから。それから、このあたりの動物はサメもふくめて危険なものはほとんどいないんだけど、この貝だけには注意してください。触らないようにね」と250ミリリットルの缶ジュースほどもある貝がらを手にとってみせた。

「注意点はそれだけ。わかったかい?ちびノリダー。」

同じ飛行機でやってきた日本人家族の末っ子に言う。小学校低学年の男の子だ。きっとこのガイドさんは二十年くらい前に日本にいたのだろう。今の小学生はわかりませんよ。こんなとき鷹揚に

「ガイドさん、古いねえ!」などとわらいあえる社交性と現場度胸がほしい。

たっぷりと日焼け止めを塗るよう忠告される。

シャンプーボトルみたいなやつにはいったお徳用あるいは業務用然とした日焼け止めがそなえつけられている。ガイドさんは白人ということもあるのだろうかクリームが白く肌に残るくらいに塗りたくっている。

「紫外線の量は日本の4倍。私も皮膚ガンになった。ほら、ここも、こっちも。」指差した箇所は手術のあとなのか癒えきらない傷跡のように変色している。初期ならドライアイスで焼くのだ、と付け加えた。

楽器のような音色の足音で海へむかう。砂状にまで砕かれたサンゴもあるが、まだ生前の形をとどめたサンゴの死骸がこすれると澄んだ音をかなでるのだ。

今日は時間にして30分しか経過してないけど、つづく

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オーストラリア旅行記 4日目 1/4

まずはクイズの答えから。

問1 ゴールドコーストの人種割合は?(僕が見た限り)

答え 欧米人が8割。他2割。

2割の内訳は中国人が多くを占め、次に日本人。はぐれメタルとの遭遇率くらいでアラビア系とインド人。前者は肌を隠した衣装で、後者はサリーとティカで判断。日本人が少ないのは時期のせいか。10月だもんね。一般的には休みなんてないもんね。

問2 太陽はどの方角から昇る?

答え 地球の自転のことを考えればわかるのだが、東からのぼる。ただし、北半球では太陽の軌道は南の空を通るが、南半球では北の空を通る。そのため家屋は北向きに造られているのである。

問3 星座の特徴は?

答え なんと上下逆である。オリオン座が見えたのだが、リゲルが上でベテルギウスが下だった。よく星座図解なんかでみる星空に絵を重ねたやつがあるけど、オリオンも逆向きに描かれているのだろうか。

問4 オーストラリアのお札は何製?

答え プラスチック製。マリンスポーツがさかんゆえ、ぬれても大丈夫なようにするためらしい。紙幣とは言わないんだろうねえ。

問5 チップは料金の何パーセントが標準?

答え 基本的にチップ制の国ではない。例外的にベッドメイキングには1ドル程度支払う。

十月十四日 

ホテル~飛行場~レディ・エリオット島~ハービー・ベイ~飛行場~サーファーズパラダイス

6:00 ホテルのロビーで待っていると現地ガイドのおじさんが迎えに来る。

「ゲーッ、外人さん!ガイドにならねえ、言葉わからんもん」

と思ったが、京都なまりの流麗な日本語で話しかけてきた。柔和な笑顔をたたえた人なつこい、小柄なオーストラリア人だ。

ガイドさんの運転する車でまずは飛行場に移動する。グレートバリアリーフ最南端のレディ・エリオット島へは飛行機で移動するのだ。40分ほどの運転のあいだ、程よいおしゃべりのガイドさんの話に耳を傾けながらも街の様子を観察していた。極端に田舎にはならずかといって心寂しさもない、邪魔にならない人口密度を維持している。

Photo_17港到着。空港というより「滑走路」。飛行機というよりセスナであった。飛行機とセスナの違いが何かわからないのでここでは飛行機と呼ぶことにするが、12人乗りの小型機に乗るなんてはじめての体験だ。

ゴールドコーストから目的地までは700キロはなれたレディエリオット島は暖かいだろう、と海パンの上に短パン、Tシャツの上に長袖を着たのだが寒い。

飛行機が滑走路を加速する。Gはジャンボジェット機ほどもなく、騒音、揺れも少ない。快適である。

ある程度の高度をとると機体はくるりと旋回し、北へ向かう。程なくサーファーズパラダイス上空にさしかかる。広大な海岸に向かって挑むように競り立つ高層ビルは朝日を反射し、街のシンボルとしての存在感をはなっていた。 

 

着いた日の夕方、端まで歩かなくてよかった。ここからの眺めなら踏破したと同じ価値があるだろう。なんというか、ジャンボジェット機より高度が低いためはっきりいって丸見えなのである。

機内でサンドイッチとクッキー、フルーツジュースを食し、引き続き風景を堪能する。

雲との距離を楽しみ、水平線を探し、備え付けの地図と地図のような地上を見比べる。地球の表面をゆっくり這っているような錯覚に陥るが、実際のスピードはかなりのものだろう。

実はこPhoto_18の写真は帰りの飛行機からのもの。影の向きでそれがわかる。ほらゴールドコーストはオーストラリア大陸の東海岸だから。

8:00 フレーザー島上空を通過。

つづく

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オーストラリア旅行記 3日目 4/4

前回の写真のおかしなところとは、シャンパングラスが僕の席に集中しているところ。写っているだけで3つ。みんな飲めないんだもん。うまいシャンパンなのにもったいない。でもさすがに酔ったさ。

16:00 新しい弟(?)とともに街を歩く。今日は本格的に寒い。長袖長ズボンでも歯がなるくらいだ。にもかかわらず欧米人は半袖半ズボン。よく平気だな。

本日はオーストラリアクイズといきましょうか。

問1 ゴールドコーストの人種割合は?(僕が見た限り)

問2 太陽はどの方角から昇る?

問3 星座の特徴は?

問4 オーストラリアのお札は何製?

問5 チップは料金の何パーセントが標準?

答えは明日。

19:30 行脚再び

さて夕食後、飽きもせずに歩き回る。まあ、飽きても歩き回るのだが。何度か声を掛けられるが、何いってるのかわからない。ハワイアンなサインを送ってきたので影絵のキツネで応酬する。

明日は早いので適当に切り上げることにする。お待ちかねのグレートバリアリーフに飛ぶのだ。世界一の面積を誇るサンゴ礁は南北2000キロにおよび衛星軌道からも視認できるのである。オーストラリアにまで行ってここに立ち寄らない手はないとオプショナルツアー金6万円也を支払った。

 赴くのは最南端のレディ・エリオット島。手つかずの自然が多く残り、NHKやABCテレビのドキュメンタリークルーも滞在する学術的にも貴重な地域。

 

今夜はバックトゥザフューチャーpart2を見ながら眠る。

クイズの答え、引き続き4日目につづく

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オーストラリア旅行記 3日目 3/4

11:00 式典開始

 新婦とともに一歩一歩バージンロードを歩んでいく。このあいだ、列席者や当の新婦はどのような思いを巡らせているのだろうか。

 列席者といっても新婦家族が僕含め三人。新郎家族も同じく三人。スタッフはパイプオルガン奏者とヴォーカルが一人ずつ。それにウェディング会社のスタッフが一名とごく少数である。しかしそれだけにみんなが同じ気持ちであると確信できるのである。ここにいる全員がただ一つの未来をみているのだ。

  神父の前まで歩き、とまる。

「祝福しますか」

と神父は英語で言った。

 僕は神父の目をみた。神父も僕の目をみた。息を吸い込んで、言った。

「I do.」

僕の声がチャペルに響いた。

 神父の傍らにいた新郎のもとへ、新婦は歩み寄った。

 僕は席につき、二人のやり取りを、真剣にみていた。

 無事に式を終え、シャンパンのコルクキャッチ。念入りな写真撮影。カメラマンは青い眼だが片言の日本語だ。

Photo_9  

会食場へ移動する。新郎新婦の振る舞いをあじわう。

お祝いのシャンパンとケーキが特にうまかった。

Photo_10

 

この写真にはおかしなところがあるんだが、答えは次回。

2倍になった家族が一つの車でサーファーズパラダイスへと向かった。

つづく

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オーストラリア旅行記 3日目 2/4

9:30 到着 【45$】

 ホテルのロビーに着くやそわそわしてくる。探索したくて仕方ない。
 
団体行動をあきらめて歩くことにする。勇者が宝箱さがす感覚である。
「可能性があるならば、我は求めん」
 
ロビーのある建物をでて幅の広い階段をおりる。水と緑を融合させた庭園は太陽を浴び美しく広がっている。一口に水といってもここには様々なものがあり、それぞれの色彩と動きで春の植物とまじわっている。ラグーンに噴水、運河、庭内プール。おのおのが競うように風景との同化を図っているようだ。淡いピンクの鳥も軽やかに園内を歩き……あ、フンしやがった……とにかく歩いているのだ。

庭園1

庭園2

 小道を海へむけて歩を進める。ホテルの敷地を囲むかたちで運河が流れており、ところどころにクルーザーが停泊している。サーファーズパラダイスとはまったく異なった落ち着きのある風情をたたえている。ホテルは低層であるために開放的な雰囲気。立地からみても観光目的の来訪者はいないのだろう。ゴールドコーストへは何度も来ており今さら観光など不必要なんだろう。だからのんびり&クルーザーなんだろう。勇者の宝探しなんぞに興味はなく、武器屋で買うのだろう。足の裏が痛い。

10:30 サンクチュアリー・コーブ・チャペルへ移動。

外観

背面がガラス張りの、白を基調とした建物にただ一つ、クロスの生地だけが青く抜かれている。ガラスの向こう側には川が迫り、陽光を穏やかに反射している。川面の綾がチャペルの壁をなでてつくりあげた揺れ文様をながめていると、陳腐な表現で嫌だが、天国にいるような錯覚におちいる。

チャペル

到着

10:45 カートに乗って最後の二人が到着

みんな笑顔である。

新婦はドレスの裾を持ち、ふわりと芝に降り立った。

つづく

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オーストラリア旅行記 3日目 1/4

十月十三日

サーファーズパラダイス~ハイアット・リージェンシー・サンクチュアリー・コーブ~サーファーズパラダイス

 

6:20 起床 

 パッチリと爽快なめざめ。日本での一分を貪るようなけだるい目覚めが嘘のようである。 

 いい天気だ。ゴールドコーストは年間晴天日数300日を誇るらしい。

 スーツに身を包み、朝食をとりにでかける。そのために少し早めに起きたのだ。

6:50 朝食探し

 前夜に生み出されたゴミを回収しいる収集車を横目に朝の街を歩くがあいている店が少ない。あたりまえか。椅子を並べたり テーブル拭いたりする様子をみるに7:00の開店にあわせて準備をしているのだろう。

 角地に立つ小さなカフェで朝食をとることにする。ここらの店はどこもPhotoカフェ・ド・クリエみたいに扉や窓が開きっぱなしになっているので入りやすい。

メニューを眺め、ならぶ数字に100を掛けていく。パンが高いな。まあ、あんまり腹も減ってないし、少量でいい。普段は朝食なんてほとんどとらないんだし。クロワッサンとカフェラテを指差し注文。

 僕の名前を聞かれる。なんだ? スペルも聞かれる。なんだ?【6.50$】

 待つこと5分。でてきたクロワッサンは、でかい。アメリカンサイズである。ここまでの滞在から判断するにオーストラリアらしからぬサイズだ。生地からは

バターが染み出している。相当量が練りこまれているのだろう。手でつかんで食べるのがためらわれるほどだ。その上小さいケースにはいったマーガリンとジャムが添えられている。まだ油分足りないのかよ。

プラスチック製のナイフが皿の上にのっているのに気づく。やっぱり手で食べるものじゃないんだ。しかしこのナイフ、切れない。ぺらぺらなんだもん。結局手でつかみ食べることにする。

 一方のドリンク。店はセルフサービスでシュガーやポーションミルクを自分でとる形式。日本との違いはチョコレートスプレー(細かい棒状のチョコレート。アイスやケーキのトッピングにあるやつ)が置いてあるということ。調味料ボトルみたいなものに入っており好きなだけふりかけることができるのだ。イチゴバージョンまである。だったらシナモン置いておいてよ。

 メタボリックなじい様があざやかな手つきでチョコレートスプレーを振り掛けている。その腹とチョコレートは説得力で強固に結びついている。僕はそのままでけっこうです。

 この店はアメリカの企業のチェーン店でアメリカ人向けなのかもしれないな。

 おなかいっぱいだよ、ホテルへ戻ろう。

8:45 フロントでタクシーを呼ぶ

 すぐにやってきたタクシードライバーに

「ハイアット・リージェンシー・サンクチュアリー・コーブ」

ホテルの名前を告げる。ここの敷地内にある教会まで行くのだ。

 タクシーが市街地をはなれるにつれ緑色の比重がふえてくる。それにもかかわらず豊かな自然という感じはしない。なぜなら人の手がいきとどいているからだ。

各家々の様子からもそれがわかる、建物一個分の敷地は市街地よりさらに広がっているのだが荒れてはおらず、刈り込まれた植木は隅までぬかりなく手をいれてあることを示している。

つづく

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オーストラリア旅行記 2日目 4/4

18:30 本日の夕食

大きさの違いを堪能したくてマクドナルドに入ることにした。
 
列に並ぶと黒人の少女が注文をとりにきた。へえ、そういうシステムなんだ。『ビックマッグmeal』つまりセットを注文。Mサイズで。【5.95$】

でてきたのは日本で見かけるのと同じ大きさのハンバーガー。味付けは気持ち薄味。どうやらアメリカとオーストラリアの文化はかなり違うらしい。ひょっとするとイギリスに近いのかもしれない。国家元首はエリザベス女王だし。ビッグマック

※ドリンクの前においてあるのは銀行のカード。僕は煙草喫めないのでこんな大きさ比較に。

窓際のカウンター席でポテトをほおばっていると10は年下とおもわれる女性二人組に声をかけられる。ブロンドとブルネットだ。

「KONNICHIWA!」

ほほう、誰かが教えたのだろうか。
「こんにちは!」
元気よく答えたが、くそう、このあとの言葉がでない。二人は日本語を話せるわけではなく、こんにちは、という単語のみを知っているだけのようだ。英語は僕のほうがしゃべれない。

コーラを飲み干し、仕方なく席を立つ。
「Bye bye」
と再び声をかけられが、オウムのように返すことしかできずにマクドナルドをあとにした。   

 腹ごしらえを終え散策再開。
 
酒屋を発見。スピリッツやリキュールの銘柄は見たものばかりだが、ビールはかなり異なる。あと、びっくりしたのがウィスキーのコーラ割りがビンや缶で売ってるのだ。こんなのはじめてみた。それもジムビームやらターキーやらいろんなバージョンがある。コーラで割っちまったら何つかってもほとんどかわらんだろうに。結局買うんだけどね。
ビール×2 【5.70$】
ジャックダニエルコーラ【7.00$】
チョコレート【3.00$】
このあと21:00まであるきまくった。時にはビールを飲みながら。

21:15 帰ホテル
 
テレビを点け、アルコールを煽る。
 
チャンネルは多い。スポーツはクリケットとサッカーとバスケットボールを放映している。
 
さらにチャンネルをまわすとロードオブザリング3がやっていた。
 
ニュースでは有名人が死んだのか葬式の映像が流れている。サングラスにウェスタンハット姿の参列者もおり、服装はかなり自由なようだ。
 
ロードオブザリング3にチャンネルをあわせ、荷物の整理と明日の準備。洋画はバックミュージック風にながしておくと絵になる。

 読書灯の脇においてあるメモ帳をちぎって折鶴を作成。チップと並べて置く。

24:00 就寝
 
ベッドに入り、星座をみるのわすれたな、明日見よう、と考えながら、目をとじた。

 つづく

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オーストラリア旅行記 2日目 3/4

17:00 目を覚まし、ベランダにでてみると雨は上がっていた。五時を過ぎたがまだまだ青空だ。今度はダウンタウンへ足をのばそう。

ストームの前と後でおおきく変わったことがある。気温である。はっきりいって寒い。関東地方の10月よりも間違いなく温度は下だろう。ただ寒さというか、寒さだけではなく暑さも、肌が感じる空気感が日本とは異なる。風のせいか、湿度のせいか、においのせいか理由はよく分からないけど、なにかが違うのだ。

とはいうものの、寒いことにはかわりないので長袖長ズボンに着替える。

さて、ゴールドコーストの街。

来訪するまえ、過去ゴールドコーストをおとずれたことのある人と、日本で例えるならどこかという話をしていた。

「ぜんぜん違うけど熱海、かなあ」

その人はさらさらと言っていたが、そうよ、しのびないがぜんぜん違うよ。熱海ではない。

こういう超大型リゾートって日本にはないのだ。生活エリアと切り離された純粋な休息地。敷地や道路の適度な広さは、人の心に余裕を与え、その余裕は街全体にいきわたり、観光客に居心地のよさを提供してくれる。だれもがまるで気負っていないのだ。

カフェなんかの営業振りもさりげない。自然な感じがする。日本の観光地のみやげ物やお食事どころなんかは

「生活かかってますから」

という必死さが滲んでおり、近寄りがたい負のオーラが充満しているのだが、こちらは町に漂う自然さがおのずとリゾート気分をさそう。というよりリゾート気分のほうこそがニュートラルな状態である気にさせてくれるのだ。

酒を飲ませるオープンカフェ風の店が並ぶ目抜き通りを越え、アーケード街を通る。金曜日ということもあり人はあふれ、だが、人ごみという気がしないのはなぜであろう。

思うに日本の新宿や渋谷は150パーセントの状態なのだ。限界をこえているのだ。それに比べこちらはマックスでも100パーセント。それ以上にはならない。たとえ店が満員でも待つ人まではおらず、さわやかな活気につつまれている。

難点を一つ。ハエが多いのである。うっとうしいくらい多い。三歩あるいて振り払い、五歩あるいてはまた振り払い、十歩目であきらめる。前を歩いている黒いドレスの金髪にも三匹たかっている。どんなに格好つけてもバカにみえてしまう。

つづく

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オーストラリア旅行記 2日目 2/4

そう、コアラって意外と、ごわごわしている。短毛でかたいのだ。タワシほどではないが、こすればきっと汚れは落ちるに違いない。性格はおとなしく、おっとりで、ナマケモノみたいな動きだ。

コアラ

白状する。コアラ抱っこして写真とっよ

……楽しかったよ。

そのあと園内めぐり。カンガルーをはじめ、エミュー、ウォンバット、ディンゴ、ヒクイドリなど固有種中心の展示。日本の動物園とちがって動物との距離が近いのがいい。野生の七面鳥が歩いていたりもする。そうそう、鳩がいた。(展示されていたわけではない)日本の公園や団地のベランダでみかける首筋が緑光沢に輝いたおなじみのやつだ。世界中にいるのか。

カンガルー

しかしどれもあのコウモリほどのおどろきは得られない。

12:00 昼食
やしきたかじんとベッキーと倖田來未と島谷ひとみのコアラ抱っこ写真が飾ってある小屋にて昼食。バイキング形式である。バイキングというよりキャンプに近い感覚。当然肉と野菜中心だ。いきなりオージービーフにご対面できるとは思わなかったが、味はチキンに軍配があがる。ビーフもまあまあいけたんだが、チキンがうますぎた。野菜はイマイチ。ぶった切って、焼いて、タレかけただけだもの。

少し離れた広場に陣取った地元の幼稚園らしき団体もランチタイムらしい。青い目の子供たちは何食ってんのかなと思いながらのぞいてみると、果物-りんごやバナナとビスケットを少し。……質素だ。というかこれじゃおやつだ。おやつタイムだったのだろうか。しかしおやつをみんな集まって食べるだろうか。時間を考えてもランチだと思うんだけどな。日本の園児の昼食とはだいぶ違う。

13:00 出発
ローンパインを後にする。時速110キロ制限の高速道路をとばしゴールドコーストへ。へえ、メートル法の国なんだ。
 
運河を越えて街に入る。次週には街の道路を会場にしたF3のレース、インディカーレースなるものをやるらしく、着々と準備は整いつつあるようだ。ピットや客席はすでに設置されており、強引な形で道がさえぎられている。
「ここが最終コーナーになるんですよ」
とガイドさんが説明してくれた。
ところでカーレースなんだから車じゃないと出場できないんだろうけど、車の定義ってなんだ?エンジン?タイヤの数?

14:10 ホテル到着
 
部屋に入るなり飛びこんできた南太平洋の青色。ようやく海外に来た実感がわく。ベランダにでて思い切り空気をすいこむ。部屋からすがすがしい……というわけにはいかない。原因は自分の体だ。長いことシャワーを浴びてなかったので、気持ち悪い。ということで風呂直行。あ、渦は確かに反時計回りでしたよ。

14:50 ベランダからの眺めだけじゃ物足りずあたりを散策

ゴールドコーストはいくつかのエリアにわかれていて、僕が滞在したのはサーファーズパラダイスというエリア。ゴールドコースト一の繁華街である。
 
とりあえず海岸に出てみよう。
 
いきなり外国人ファミリーに囲まれ写真を頼まれる。他に同人種が大勢いるのに黒髪の僕に頼むか?しかし断るわけにはいかない。こういう交流が海外旅行の醍醐味じゃないかええ?
「3・2・1・KASYA!OK?」
「OK!」
「3!2!1!KASYA!」
「Yeah!Thank you!」
「Your welcome」
シャッターのタイミングがずれた気がしたがまあよい。Japanese styleだ。

 ビーチを歩く。水温は冷たい。泳いでいる外国人がちらほら見受けられるがちょっと考えられない温度である。
 
しかし一体どこまで歩けば踏破したことになるのだろう。先がまったく見えないんですけど。よし、あの高層ホテル群のきれはじまで行くとしよう。しかしとたんに雲行きが怪しくなる。文句のつけようのない青空の一部を蝕んだかとおもうと、にわかに侵食が開始された。黒雲ガイドさんがストームとよんでいたものだろう。まあスコールみたいなものだ。急いでもどることにする。ホテルに入った瞬間土砂降り。すぐに止むことだろう。

 疲れてもいるし一寝入りするか。

つづく

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オーストラリア旅行記 2日目 1/4

十月十二日

飛行機~ブリスベン国際空港~ローンパインコアラ保護区~ゴールドコースト/ゴールドコースト・インターナショナル・ホテル~サーファーズパラダイス

 

 コンタクトレンズを外しリクライニングをたおす。飛行機でオネショした人いないのか、とおもいつつ就寝……嘘、眠れねえ。エンジン音と座席姿勢、もともと枕が変わると眠りにくい体質なのにこれじゃとてもじゃないけど。

 それでも長くゆるやかな下り坂をいくように、眠りの領域へ踏み込んでいく。

2:30 ピンポーンと電子音。くそうせっかく眠りかけたのに。続いて機長のアナウンス。この先気流が不安定な空域にさしかかり機体が揺れるが安全運転に支障はないということ。

「この先揺れます。当機は墜落のおそれがあるため、覚悟しておいてね。おいおい、俺のせいじゃあないぜ、運が悪かっただけさ。」

とは言わんだろう。いやいや墜落飛行機から遺書がみつかることを考えれば、正直に言うものなのだろうか。

 衝撃に機体が揺れる。各所から小さな悲鳴がもれるが揺れ自体は一瞬のこと。機長の言うとおり安全なのだろう。わかった。わかったからもう眠らせてくれ。

 疲れてもおり、時間も時間だ。次に目が覚めたのは4:30。朝日が差し込む。人々は起きはじめ、トイレに立つ人、かばんから何かを取り出す人、とたんににぎやかになる。その時僕はあることに気づいた。日本人女性に、それも40代後半以上に多くみられるのだが、化粧をしているということだ。狭い座席でまあ熱心にやっている。塗ってはたいてまた塗っている。それも、長いことしている。ちょっと異様な光景であるように思うが、微笑ましくもある。いつまでも乙女なのである。

しばらくすると再びおしぼりサービス。朝食はサンドイッチとコーヒー。十分十分。

機内アナウンス。現地時間6:50に到着予定。

無事到着。ブリスベン国際空港。

税関に並ぶ。事前に記入した入国カードをパスポートともに検閲官にみせる。入国カードには、オーストラリアに外国の土を持ち込む旨記載したため指摘をうけるが

「Shoes」

とこたえる。

しかる後に金属探知機、出国時と逆の手順を踏む。

時計をオーストラリア時間に調整。ちょうど1時間の時差だ。

8:20

飛行機を降りて、1時間以上経過してようやく、待ち合いフロアへ。まったく降りるまでも長いし降りてからも長い。

旅行社のガイドと落ち合う。日本人だ。

出発まで時間があるというので、トイレへ向かう。歯磨きINトイレだ。口の中が気持ち悪くてしょうがなかった。

8:40 ガイドさんが運転する車でローンパインコアラ保護区へ出発。

いい天気だ。暑い。浴衣でちょうどいいくらいの気候だ。

車から紫色の花がみえる。桜みたいな、木の枝からはえるタイプで町中のそこかしこに見受けられる。ガイドさんに説明を求めるとジャカランダという花で、日本の桜に当たるのだそうだ。春を告げる花。日本の桜との最大の違いは色ではなく、花見文化の有無だろう。

10:00 ローンパインコアラ保護区到着。小さな動物園風の施設だが、コアラの数はオーストラリアNo.1と謳っている。世界一じゃないんだ。

いきなり恐竜カラーのとかげ、というかリザードといったほうがサマになる爬虫類が歩いているのを発見。野生のものだ。

園内に入るとまずカラフルな鳥の檻。その隣にコウモリの檻が。これがすげえのなんの。一気に目が覚めた。今風にいうならテンションがあがった。でかい、コウモリというPhoto_2大きさではない。黒光りする羽にくるまっておぞましくうごめいている。猫くらいは食べられそうだ。ドラキュラとかバットマンとか、そういうキャラクターが生まれたわけがわかる。ヨーロッパとアメリカのものだが、細かいことは言いっこなしだ。

次回、コアラを抱っこする。意外と……

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オーストラリア旅行記 1日目 2/2

14:52 空港到着 

駅の改札を出てすぐに検問があってパスポートか航空引き換え券の提示を求められる。空港エリアに入るだけでパスポート見せんのかよ。最終的に何回見せることになるやら。

空港構内へ。薄暗い。なぜにだ。省エネか?犯罪は増えそうだぞ。

15:10 航空券の受け取り

スーツケースはこの時点で預けることができ、通常なら身軽にショッピングやランチを楽しめるのだが、僕の場合は飛行機への持ち込み手荷物のみなので、なんにも変わらず。ああ、重い。

15:30 昼食 

夜の機内食の時間を考えてもこのくらいの時間でちょうどいいだろう。イタリアンに入る。

この店の店員はなぜかみんなボンタンをはいている。小島よしおみたいな顔した店員に

「この、オムライスグラタンってどんなものですか」

と聞いてみるも

「オムライスをグラタンにしたものです」

とやっぱり小島よしおみたいなしゃべり方で切り返す。迷いのない答え方がいい。反論の余地を与えない素晴らしい一手だ。【1230円】

ところで空港って誰の所有物だ?収益体系は?維持管理は?株式会社成田空港だったりするのだろうか。目的が場屋の提供だったりして。職場のにいちゃんねえちゃんに聞いてみるか。

トイレに行く。個室(つまり大の方)は二つ。和式と洋式が一つずつ。和式の扉には

〔Japanese  style〕