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第七回 容疑者Xの献身

容疑者Xの献身

東野圭吾/文芸春秋

 ずるいね。

 推理小説ってのはずるい。犯罪、謎掛け、ミスリード。興味をひかれるに決まっている。中毒性もある。江戸川乱歩賞が日本で一番難しい文学賞といわれるのもわかる気がします。

 加えて東野圭吾はミステリを叙情的に斬るのが上手い。特にこの『容疑者Xの献身』はジャンル分けが難しく、恋愛小説と推理小説がうまく溶け合っている。もう反則技。既成の枠を超えて成功した稀に見る作品といっていいと思います。

ただし描写力には乏しく、小説というよりはエッセイに近い文体。僕は小説の要素は描写にこそあると思っていて、芸能人なんかが書く「小説」は小説をきどったエッセイだと判断します。

 小説かエッセイか、すなわち描写については【第十一回『はたらく青年』原田宗則】で綴るとして、とにかくそんなわけで「読みやすい」作品に仕上がっています。

物語としては面白いが、文学作品としては辛い(直木賞相手によくいうよ)といわざるをえない。

 恋愛小説の定義が出会いや過程、形ある結末をべたべたべたべた書くことではないとして、登場人物の心理を鋭く映すものだとして、この小説はまっとうな恋愛小説です。それでいて推理小説の殺伐さに悪影響を微塵も与えていない。すべてがうまく融合しているんです。主人公石神のキャラクターはトリックに反映されており―本文中でいうところの、単純だが目先をかえることによって一気に複雑にさせるトリック―単純であるがゆえに叙情性を妨げず、恋愛小説としても成り立つのです。また初心な恋心の見せ方もうまい。究極に硬派だと思う。石神を見てストーカーだという輩は物語の読み方を知らないか、性格が歪むほどの悲惨な過去を背負った人だと思う。ご愁傷様。

 天才の犯したミスは恋心と友情、人の心のやさしさと脆さ。こうした古典的な手法も安心感があって心地よく作用する。

 人の心が数式を乱し、天才を翻弄したというところに作者の人間性を感じます。

 理系の天才二人(石神と湯川)が―といってもイチローと松井くらいの差があるわけだが―友情を確かめ合いながら才能を比べあう。スタイリッシュな頭脳が格好いい。二人の間でかわす数学についてのやり取りをみていると、哲学は自然科学の中にこそ真の姿を現すのでないかと感じてしまう。

機能美>造形美

という数式を付き付けられるような気分になります。

 数学勉強しときゃよかったなあ。理系人間が読んだらどう感じるのだろう?

 東野圭吾は自作を映像化することに抵抗はないようで、これまでも数多くなされている。この『容疑者Xの献身』も話題性や受賞暦を考えると各方面放っておかないでしょう。映像化に綻びが生じるタイプでもないし。

★石神哲哉は絶対に田山涼成が演じるべきである。

そういえば『錦繡』が舞台化される。書簡体を視覚化するかねえ。電車男が現代の書簡体といえなくもないけど。あれが小説であるかは、まあ、語るべくもないか。

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