« おおきな木 | トップページ | 十月十一日 出発直前 »

100万回生きたねこ

100万回生きたねこ

佐野洋子 /  講談社

「恐いものは何?」

と聞かれたことがある。即答した。死ぬことだと。

死を意識した最初の瞬間を覚えている。小学校一年生のころ『ポセイドンアドベンチャー』という映画を観た時だ。作中では人がいともたやすく死んでいった。死ぬことが当たり前で、生きていることが奇跡だといえた。小さな僕の世界とは反対の事態が繰り広げられていたが、一方でそれが自分にも起こりえる出来事だと認識することもできた。日常が簡単に奪われ、意識することすら許されぬ暗黒の世界への恐怖心があった。なかなか寝付けずに布団から眺めた天井がやけに遠くに見え、世界に1人残された気分だった。

以来、その恐怖心から逃れることができずにいる。僕は死に喰われている。

しかし戦う手段は残されているように思う。強がってみせたり、大きな目標を掲げて夢中で邁進したり、宗教に走るのもいい。あるいは諦められるならそれが一番楽かもしれない。

 ねこは不死身だった。たとえ死んでも生き返る特殊な能力を備えていた。その能力はあらゆる生物の羨望を集め、ねこ自身もそれを自覚していた。自分こそが選ばれた存在だとの理解があった。半面社会的視野に乏しかった。自分にしか興味なく、瞳に映る世界に価値などなかった。

 しろねこに出会い、愛情というはかない感情に出会った。平凡な感情だった。ねこにまるで似つかわしくないありふれた感情は、だけど幸福な毎日を用意し、不死の力を奪った。

 愛する者のための限定された生。戦う手段のうちもっとも王道であるべき道。

 ねこには選択権があったのかもしれない。だけど我らにはない。いつかかならず死ぬ。だからこそ愛する能力が備わっているのだと、そして愛情は100万回の生に優るのだと、預言者の復活や、輪廻や、あらゆる超常現象にも勝るものだと、それが製作意図だろう。

|

« おおきな木 | トップページ | 十月十一日 出発直前 »

物語 その他」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 100万回生きたねこ:

« おおきな木 | トップページ | 十月十一日 出発直前 »