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第一回 ノルウェイの森

ノルウェイの森
村上春樹/講談社文庫

 読書酔い、と自分で勝手に呼んでますね。
 本の世界に引き込まれなかなか現実世界にもどれず虚ろな日常を強要される読後状態。この小説ではじめて体験しました。

 このときの読書酔いはひどかったです。
 読後、心は乱れながらも腹が減ったことに気づきました。いや、気がついたら腹が減っていたのか。どちらか定かじゃないけど近所のスーパーに向かったんです。レジの女性のネームプレートが妙に狭くなった視界の端に映りました。
○○直子」
直線だけで構成された「直」の字面が、彼女の、真っすぐ終わりへと進んでいく事しかできなかった苦悩を思わせ、僕は焼きうどんを抱えたまま再び喪失感に埋められていきました。

 読んだ年齢によってかなり印象がかわってしまう種類の作品でしょう。僕の場合、初読は19歳だったかな。個人的にはちょうどよい時期に出会ったと思いますが、一般的には高校2年くらいで一度読んでおくとある種の至高体験を味わえるかもしれません。高2の夏とか。響きもいいし。高2の夏。

 ただ文学という学問的、芸術的評価は低いようでしばしば通俗小説と批判されるこの作品。確かに時代の節目節目を切り取った作品に見られがちの強いメッセージ性があるわけではありません。戦後混乱期の「日本が世界と戦うための模索」とか、60年代の政治の季節をテーマにした作品なんかと比べると社会性に乏しくはある。
 しかし、個人としての生き方に焦点を定め、徹した世界観は21世紀に向けたわれわれのあるべき姿を見事に写し取っていると思います。我々はみんな多かれ少なかれ個人的な問題を抱えているわけだし、その問題を丁寧に時間をかけて解決する。それもこの小説で扱われているのは恋愛という「一般的」な問題です。そうした意味できちんと社会性を孕んでいる。
 通俗小説という揶揄の混じった表現に的確ではありませんね。人々の営みを個人のレベルで見たとき、通俗的にならざるを得ないのでしょう。

 この小説は恋愛小説ですが決して三角関係の話ではないと思うんです。二人の女の間で揺れる心理を主題においていない、ということです。
 ワタナベと直子、ワタナベと緑の二当事者関係が同時的に書かれているだけなんです。証拠に直子と緑に接点はまったく見当たりませんし、作者はそれを意識的に書いている。
 二者択一の積み重ね、それも直子と緑を天秤にかけているのではなくワタナベが直子をとるかとらないか、緑をとるかとらないか。そんなワタナベの身勝手さがこの小説の肝ですね。
 
 もっとも、直子の側の二者択一も、あるのだけれど。

演るなら、突撃隊は、えなりかずきで決まりでしょう。
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