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第二回 バトル・ロワイアル

バトル・ロワイアル
高見広春/太田出版

 都心特有の朝の質感が染みわたっていった。店の外からは鳥の鳴き声がきこえてくる。東京でも早朝には鳥の鳴き声が響くのだ。僕はバーカウンターの木目に目をおとしながらウィスキーと煙草が混じった息をまるごと一夜分吐き出した。
「それ、おもしろいの?」
三つ隣の席に座った美女が屈託なく話しかけてきた。女がストローで指した先には読み終えたばかりの『罪と罰』が置かれている。
コーヒーを二つ注文し、僕は徹夜で読んだ本について語り始めた。

 と、そんな展開なら軟派系文学青年みたいで格好いいのですが、現実は期待を裏切りつづける。やはり。
 実際には煙草は喫めないし、場所は家賃42000円(風呂ナシ、便所アリ、水道代込み)の神楽坂にあるアパートだったし、美女なんているはずもない。発情期の野良猫の叫び声に辟易しながら徹夜で読んだのは『バトル・ロワイアル』です。
 徹夜しましたよ(徹夜だけは本当です)。読書で徹夜。読徹。この一回きりですね。中学3年生の一クラス総勢42名が最後の一人になるまで殺し合いをしなくてはならない話です。自分ならどうするという未知なる己への好奇心、臨場感、ミステリ特有の気持ちよいじれったさ。瞳に張り付いたコンタクトレンズをはずす手間も惜しむほどぐいぐい読まされました。

 深作欣二が映画化したことでバイオレンスと勘違いしてる人もいるかと思いますが、全然違います。実際は究極のヒューマンドラマです。
「お前よくハズカシイこと平気で書けるよな」
と言われそうですが、そのとおり、ハズカシイ小説ですね。同時に尊くもあるのですが。なにせテーマは信頼ですから。しかし読んでいる最中に気恥ずかしさはないですね。陰惨極める舞台がうまく臭み消しになっている。

 この物語は非現実的な話ですが、実はリアルな小説なのではないかとおもうんです。というのもこの舞台設定、病気にそっくりなんですよ。病気は完全に予防することはできません。抜かりなく検査を繰り返したってかかる人はかかってしまう。運の要素が多分に含まれます。大東亜共和国が人類の病気で、その症状のひとつがプログラム(作中で繰り広げられる殺戮ゲームの名称、政府が中学三年の一クラスを無作為に選出する)というわけです。
本文中の次の文章がそれをあらわしているでしょう。
「誰かが、うっとうめいた」
自分の所属するクラスがプログラムに選出された直後の描写です。ただうめく以外にとるべき道なんてないんですよ。病気の発症が発覚した直後だってそうでしょう。
 偶然に、突然に引き起こされる不幸。現実に起こりうることと理解しつつも覚悟まで備わることはなく、忙しい日常に置き去りにされる不幸。そういう死神の息吹を耳元に感じられる常識的な危機感が備わっているなら、この作品はリアリズムとしての様相を呈すでしょう。
 そんな緊張感が中心に貫かれているからこそこの物語は究極のヒューマンドラマなんです。

 読む際にはぜひ、地図と名簿をコピーして、登場人物になりきってください。もちろん徹夜で読んで。想像力を駆使して冷たい自分、優しい自分の境界をもてあそんでください。
 読み終わると自分は登場人物の中では誰に近かったのかな、と誰しも考えてしまうと思います。僕の場合、古い友達に
「俺は国信慶時(男子7番)っぽくないか?」
と言ったら鼻で笑われました。全然違うってさ。

柴崎コウは光子じゃなくて貴子だよね。




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